くらし 【特集】派遣職員に映る復興(2)

◇やっと市民権を得たと感じました。
3名の若手職員とともに七ヶ浜へ到着したときは、がれきも撤去され、一見平常で津波や地震の被害がどこにあったかという感じでした。七ヶ浜町には、汐見台があることから、仙台近郊の別荘地という印象もありましたが、海岸周辺では、建物の基礎だけが残され、菖蒲田浜では防潮堤も内側に曲がり、代ヶ崎浜では海側に崩壊していて、津波被害の威力のすごさを痛感しました。
私が来た頃は、愛知県からの派遣職員が1年で交代することが多かったため、挨拶をしても、またよそ者が集落の中を歩いているといぶかしげに見られたと思います。
この頃は閉鎖的なイメージを受けましたが、土日も含め時間のある限り何度も現地を歩き、目が合えば挨拶するように努めました。
何度も通っているうちに「またあいつ来てる」「何度も何の用事だ」「何年も来てる」「まだいるのか」と冗談交じりに話しかけられるようにもなり、3年くらいして、やっと気心が知れて初めて市民権を得たと感じました。
私は、平成26年度から令和2年度までの6年間、菖蒲田浜、代ヶ崎浜A地区とB地区、花渕浜の4つの地区の土地区画整理事業と土地区画整理事業地の地区計画の都市計画決定に携わりました。
地区の皆さんにもご理解いただき、おかげさまで令和2年度をもって被災した土地と土地区画整理した土地を交換する換地処分を終えることができました。
令和2年度以降は、湊浜地区の県道拡幅のための土地の取得や、復興記録集の編集、復興事業の実績評価、海岸沿いの被災した土地の有効活用などにも取り組みました。

◇おじゃまするとお茶と漬物!?
七ヶ浜は、愛知と比べ気温が低いのでエアコンがいらないくらい夏は過ごしやすかったですね。その反面、冬の寒さは厳しかったですね。エアコンだけではとても足りず、一人で部屋にいるのが耐えられませんでした。
七ヶ浜に来て初めの頃の冬は、愛知からの派遣職員と誘い合って近場の温泉へよく出かけていました。今は、寒さにもだいぶ慣れてきました。ヒーターも買いましたしね。
食事は、やはりマグロやカツオなどの刺身が新鮮で、しかも愛知に比べ安いので単身赴任生活を満喫できました。
七ヶ浜の風習としてよく目にしたのは、説明や交渉のためにお宅におじゃますると、必ずお茶と漬物を勧められました。愛知ではあまりないことです。
言葉は東北でも七ヶ浜の方言は難しいですね。今でも住民同士の会話は理解できないことがあります。
七ヶ浜の人は、初めはとっつきにくいのですが、親しくなるとかえって愛知の人よりも面倒見がいいですね。人柄は真面目で辛抱強いので、震災時は我慢していたんだと思いました。
住民と親しくなり、話をしていると、多くの人から「仕組み上、しようがないけれど、自宅避難者は避難所と違い、発災当初から支援物資が滞り、その差がひどかった」という話を耳にしました。