文化 ーわたしと金山ー No29

林 寛治(かんじ)

■「金山町マルコの蔵・広場」
現在、国道13号の上台峠から一気に広がる金山町の遠望は、四季それぞれに素晴らしい眺めです!杉の林間を曲がって突然眺望がひろがり、鳥海山から金山三山に続く大パノラマの麓に金山の中心部が静かに佇んでいる風景は絶景です。
私の記憶に残る古い「金山に着いた!」という情景のポイントがいくつかあります。まず、旧道の曲がりくねった峠の山道を下り、上台集落に入った時。次に、山崎集落群の各戸の茅葺屋根の妻側が道路に面し前庭をもって、立ち木の間に規則正しく見えてくることで、今は名所となった「大内宿」のごとくだった。暫く田園が続きます。そして、七日町(柳町)を行くと、「一心堂薬局」が正面に構え、ハイ!ここからが金山中心部ですというサインに皆が感じたと思います。最後に、右折して一歩踏み込むと、七日町通りが一直線に200m弱通り、イチヤマ家と西田家の大屋根の広い妻面が小路を挟んで通りに向かってアイストップの如く七日町通りに向かって正対していました。
七日町通り西側には、小野寺家、星川家・ヤマニ旅館、佐藤家、栗田家・米穀店、の大・中大屋根妻面が南面して立ち並んでいます。今から150年前後以前から、町民建築主と地元棟梁たちの「街並み景観意識」が、中小都市に先駆けて、自然体で無意識に醸成されていたことが伝わります。
七日町から直角東西に走る十日町通りはカネカ川崎家が常態保存で金山伝統建築の様相をよく伝えております。またマルイ岸家住宅も残されて活用してもらいたい伝統建築です。西田家からマルイ岸家の蔵までの間は七日町の奥に位置して静かな街並み環境が漂います。
西田知人君の遺言で西田寛子夫人が敷地奥の2棟の土蔵を鈴木洋町長時代に金山町に無償寄贈がなされ、林と片山教授とが「金山町・風景と町並景観」の要となる施設として敷地全体を含めた設計委託をうけました。土蔵の旧状では雪害防止のために二重に簡易壁に覆われていましたので、本体の傷みは少なく、傾きも見られなかったことで、残された甲斐がありました。「丸に小」という西田家の屋号から「マルコの蔵・ひろば」という町長の命名は秀逸だと思いました。偶然ながらヴェネツィアの中心広場が「サン・マルコ広場」で毎年世界中から何百万もの人々人が訪れて賑わっています。
東蔵は町の紹介を兼ねた物産販売とカフェで2階はオープンギャラリーと奥が小サロンです。西蔵1階はささやかな展示室、2階が街並みづくり展示室になりました。先年、皇太子殿下時代の天皇陛下が吉村県知事のご案内で瞬時お立ち寄りの光栄に与かった旨をうかがいました。金山の素朴さを感じていただいたこと意をありがたくおもいます。
主屋跡の前面空地は畑と緑地として残されていたことは幸いでした。七日町通りと十日町通りの起点となる交差点であり、西南の角地に施設建築物は不要であり、「町民や訪れる人々が自由に交流・活用に資する日本のひろば」を提案しました。私の眼から見て、蔵史館や役場町民ホールの活用の上手さは、十分すぎるほど実証済でしたから、回廊を回し水場も設けて、青空市場や、ギター演奏、コーラスグループの青空コンサートなどを、想像・期待しました。ベンチは語り合いの場、昼寝するもよし、食べるもよし、但し、ごみの片付けは各自持ち帰りのルールが必要ですね。夏の陽が落ちてから、動画やスライドの発表会など、広場と回廊は文字通りオープンスペースです。蔵史館・サロンぽすと・マルコの蔵・広場が、町民老若男女が競い合って、活用の幅が広がることを期待します。