- 発行日 :
- 自治体名 : 福島県いわき市
- 広報紙名 : 広報いわき 令和7年1月号
■自動車のための道路
江戸時代の飛脚、大名行列、荷車、明治時代の人力車、荷馬車、そして自転車の登場あたりまで、道路は人が往来するための受け皿的存在でした。
しかし、大正時代末期、„新参者“の自動車が走り始めたことによって、道路事情は大きく変化しました。最初は外国産の自動車が輸入されましたが、昭和時代に入ると国産車が造られるようになります。自動車時代の到来が予感されました。
昭和4(1929)年、平ー小名浜の直線道路による自動車専用道路が計画されます。この年、国庫補助が盛り込まれた「産業道路改良計画」が発表されており、全国の主要都市でこのような計画が打ち出されました。
昭和8(1933)年に政府が策定した「第二次道路改良計画」は、自動車交通を前提とした道路整備を目指したものでした。
開通すれば半分弱の20分程度に時間短縮される、と夢のような計画に対し、昭和9(1934)年6月14日付『磐城新聞』は「いつの事やら、実現は蓋(けだ)(まさしくの意)し程遠い将来である」と報じていました。
その後、戦時色が濃くなってガソリンの輸入が途絶(とだ)え、「車社会」の実現は遠のいてしまいました。
40〜50分を要した平ー小名浜が20分弱で結ばれたのは昭和41(1966)年のことです。このルートは昭和時代初期の計画をなぞったものなのでしょうか。
(いわき地域学會 小宅幸一)