- 発行日 :
- 自治体名 : 福島県白河市
- 広報紙名 : 広報しらかわ 令和7年9月号
寄稿 市文化財保護審議会委員 佐川 庄司(さがわ しょうじ)
大きく湾曲した松の幹に止まるつがいの綬帯鳥(じゅたいちょう)が真下の急流を見つめている。樹間から赤白班(あかしろまだら)の花を咲かせる椿(つばき)、その背後には青空と雲が描かれている。濃厚な色彩に彩られた花鳥画の名品である。
実は本作品は、20代半ばの松平定信(まつだいらさだのぶ)によって描かれたものである。大名の余技とは思えないほど確かな技量で描かれた花鳥画である。定信は江戸絵画の中でも「南蘋派(なんぴんは)」(長崎派)の画人として名をはせた人物でもあった。
生家である田安(たやす)家において幼少より狩野(かのう)派の画風を学び、後には田安家臣の源鸞卿(げんらんきょう)から中国清(しん)の画人沈南蘋(しんなんびん)の画法を学んでいる。祖父の8代将軍吉宗(よしむね)が沈南蘋を長崎に招聘(しょうへい)したことにより、中国の写生的花鳥画が日本に伝わり、江戸時代中後期の絵画界に大きな影響を与えた。定信をはじめ、伊勢長島(いせながしま)藩主増山雪斎(ましやませっさい)、姫路(ひめじ)藩主酒井忠以(さかいただざね)などの大名のほか、円山応挙(まるやまおうきょ)・伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)・与謝蕪村(よさぶそん)などにも多大なる影響を与えている。
しかし、定信の画事は老中就任とともに終焉(しゅうえん)を迎え、絵画観を一変させている。その著書において絵画の果たす役割として、写実や記録そして実利性が重要であると述べている。老中退任後に定信が行った『集古十種(しゅうこじっしゅ)』『古画類聚(こがるいじゅう)』『小峰城御櫓絵図(おやぐらえず)』などの編纂(へんさん)事業は、まさに定信の絵画観の実践であり、文化財などの記録保存でもあった。
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