- 発行日 :
- 自治体名 : 福島県昭和村
- 広報紙名 : 広報しょうわ 令和7年8月号
菅家 博昭(大岐)
◆野尻川 昭和村野尻 菅家友雄さん、和歌子さん
2025年3月14日、昭和村佐倉のからむし織の里で開催された織姫作品展に行くと、古い1本のマスツキヤスが壁に吊り下げられ、そこに作品のドライフラワーが下げられていた。ヤスの長さを測ってみると216cmあり、うち鉄の刺突部は5本にわかれ長さ22cm・幅10cmであった。
偶然に展示用の長い棒が必要ということで織姫の皆さんが選び、これを使用したのだ、という。村びとが会場の作品を見るために集まっており、この長いヤスを見て、次のような話をされている方がいた。野尻の菅家友雄さんは「マス捕りヤス、各家庭で、みんな(誰もが)持っていた。村の鍛冶屋が作った」と語った。後日、話を聞きに自宅を訪ねた。
玄関には鉢植えの花があった。
友雄さんは生まれ育った喰丸の川・野尻川上流の村中の特定の場所が水浴び場になっていた、という。小学生の夏休みは、毎日、その水浴び場ですごしたという。もぐって魚も捕ったという。イワナを捕ったり、カジカを捕ったり、たのしみだった。
結婚で、野尻に来て、マストリヤスは、どの家にもあった。しかしマスが来なくなって使い道が無くなり「必要が無いからと皆、出しちまったな」という。ヤスは地元の鍛冶屋が作ったものだ。ここ野尻にも鍛治屋はいた。2m以上ある長いヤスは、川のなかの石の上に立って、川の深いところを泳ぐ大きなマスを突いて捕った。
昔はマスはいっぱいいたらしいよ。
ウグイ捕り、エイショウは、特定の人がやっていた。ここ野尻に来た頃、野尻川にも組合(漁協)が出来て、川漁は制限され厳しくなって簡単にやれなくなった。エイショウも特定の人が許可をもらってやっていた。それまでやたらと川に入って魚捕っていたことができなくなった。
アカハラという魚は野尻ではいっぱいとれた。ほとんどは自分たちで食べたり、近所の家に分けてあげたりして無くなった。また昔は旅館などもあったから、そういうところにアカハラを売ったりした人もいた。
アカハラは紅白で色が良いから、祝い事の膳には必ず出したものだ。祝言(しゅうげん、婚礼)でもアカハラは付きもので出した。北海道に転出したからむし工芸博物館の松尾さんが、祝言の膳のことで話を聞きにきたこともあった(註1)。
和歌子さんは昭和44年(1969)8月12日の水害のことを語られた(註2)。
あの日は、とうちゃんが仕事に行って留守で私は去年還暦になった息子をおぶって、家の年寄りたちとオオミズ(大水)にのまれた家からはしごで2階から出て、小島屋前の橋がまだ流されずにあったのでそれを渡り対岸に逃げた。いまでも思い出すとざわざわする。あのオオミズで家の帯戸(おびど)も流された。
家具も何もかもぬれた。婚礼の時に撮影した写真を納めた写真帳、アルバムも水にぬれて、写真がくっついて(融着)してはがせなくなった。それで処分したんだよ。あの時の記録がなにもかも無くなってしまったのが、オオミズ災害でのいちばんの後悔。オオミズはもうやだ。10年ほどまえもオオミズになるって役場から指示され野尻は徳林寺に避難し対岸の橋本付近は中向(なかむかい)公民館やしらかば荘に避難した。
昭和44年のオオミズの時、黒い水がカミ(上流)から津波のように流れてきた。家のなかは1mの高さまで水につかり、その水が引くとヨナ(砂)がたまった。8月13日には会津高田などから消防団員が来て災害復旧をした。
(註1)『昭和村の婚礼料理調査及び再現報告書』(昭和村民俗文化交流事業実行委員会、2022年)
(註2)『昭和村の歴史』(昭和村役場、1973年)172ページ。『昭和村のあゆみ』(昭和村のあゆみ編纂委員会、奥会津書房、2011年)135ページ。
※詳しくは本紙をご覧ください。