- 発行日 :
- 自治体名 : 茨城県水戸市
- 広報紙名 : 広報みと 令和7年8月1日号
太平洋戦争が終結してから、今年で80年。当時のことを知る人も少なくなり、戦争の記憶が薄れようとしています。
「平和を守るため、戦争の悲惨な記憶の灯を消してはならない」と、体験談を語り続けている人がいます。そんな体験者の意志を引き継ぎ、さまざまな手法で伝えている人がいます。こうした活動は、若い世代にも届き、自ら学び、行動へとつながっています。
さまざまな世代による、「平和への祈り」をつないでいこうとする活動を紹介します。
■降り注いだ焼夷弾(しょういだん)
昭和20(1945)年8月2日、午前0時31分、茨城県女子師範学校(現在の五軒小学校のあたり)に一発目の焼夷弾が投下され、水戸空襲が始まった。
水戸空襲は、アメリカ軍が目標として定めた中小都市への空襲の一つとして、太平洋戦争が終盤に近付いてきた頃に行われた。水戸市が選ばれた理由は、常磐線の主要な輸送基地であったことと、日立市にあった軍事工場の労働力の重要な供給源で、下請けの中心だったためと言われている。
空襲に参加したアメリカ軍のB29は、全部で160機。高度約4000メートルから、次々と焼夷弾を投下していった。その数は何と、1万7890発。焼夷弾は、水戸駅や市役所、水戸城、東照宮、常磐神社など、多くの建物を破壊し、市街地を焼き尽くした。消火活動をする人もいたが、市民のほとんどは那珂川のへりなど、市街地の外に避難し、空襲が終わるのを待つしかなかった。空襲は、午前2時16分まで、2時間近く続いた。
■焦土と化した歴史と伝統のまち
翌朝、人々が目にした光景は、恐ろしいものだった。あたり一面に広がるがれきの山。無事な建物はほとんどなかった。茨城県女子師範学校の大運動場には、焼夷弾の残骸があたり一面に突き刺さり、戦慄を覚えるすさまじい光景が広がっていた。
水戸空襲は、歴史と伝統を誇った水戸市を焦土と化し、市民に忘れ得ぬ深い傷跡を残した。
■水戸空襲での被害
死亡者数:241名(後の調査により300名以上と判明)
重症者数:144名
軽症者数:1,149名
罹(り)災戸数:10,104戸(全市戸数の約9割)
罹災人員:50,605名(全市人口の約8割)
(出典:昭和20年度事務報告書)
■[語り継ぐ] 水戸空襲という現実を語り続けていく
水戸市語り部
小菅 次男(こすげ つぎお)さん
◇忘れられない光景を残した水戸空襲
私が9歳だった時に、水戸空襲がありました。現在の常陽銀行本店付近にあった防空壕(ぼうくうごう)に避難してすぐに、ゴーッと飛行機の轟音が響き渡り、ヒュルヒュルと音を立てて、焼夷弾が降ってきました。すると突然、ドンッ、という大きな音が響き渡り、夜の暗闇が一気に明るくなりました。近くに焼夷弾が落ちたのです。「もうだめだ。逃げるぞ!」。緊迫した父親の叫び声を皮切りに、那珂川の方へ避難し始めました。
外はいたるところが燃え上がっていました。県高等女学校(現在の水戸二高)は2階まで真っ赤になり、裁判所も火の海となっていました。必死で家族の後をついて避難先に向っている途中で、私は家族を見失ってしまいました。「お母さん!お母さん!」。何度叫んでもその声は届かず、一人ぼっちになってしまいました。そんなとき、顔見知りの家族が声をかけてくれて、一緒に東武館の先の竹やぶの中に避難しました。
避難中も、焼夷弾が何発も降り注ぎ、近くで炎が上がるたびに逃げ回りました。さっきまでいた場所に、ひとまとまりになった焼夷弾が音を立てて落ちてきたときは、あそこにいたら…と震え上がりました。死と隣り合わせの中、家族とはぐれてしまった寂しさを抱え、一夜を過ごしました。
明け方、焼け野原になった市街地を見て唖然(あぜん)としました。コンクリートの建物が少し残っているだけの状況に、家族は大丈夫だろうかと心配になりました。急いで家に帰りたいのに、がれきが邪魔をして思うように進むことができません。不安で胸が張り裂けそうになりながら、なんとか家のあった場所(現在の常陽銀行本店付近)にたどり着くと、私を必死で探している家族の姿が見えました。みんなも私のことを心配して、不安な夜を過ごしていたのです。全員が無事だったことを喜び合ったのもつかの間、隣の屋敷を見ると、いつも私をかわいがってくれた老夫婦が、真っ黒に焼けて、塀のあった場所に横たわって死んでいました。変わり果てた姿に、言い表せないショックを受けました。
◇戦争が存在する前提の世界ではいけない
現在でも、世界中で戦争が起こっている状況に、悔しい気持ちでいっぱいです。なぜ同じ人間同士で殺し合うのでしょうか。戦争が存在する前提の世界ではいけない。それを分かってもらうため、今も語り部活動を続けています。
戦争は、今のこどもたちにとっては絵空事かもしれません。しかし、この日本でも、戦争は確かに起こり、私たちは体験しているのです。人間は過去を忘れてしまうと同じ失敗をしてしまう生き物です。だからこそ、戦争体験者の私たちが、語っていかなければなりません。繰り返し話していけば、必ずこどもたちの心に届くと信じて。
■貴重な戦争体験の声が視聴できます
さまざまな戦争体験をした方のインタビュー映像を、市公式YouTubeチャンネルで配信しています。
■市戦没者追悼式/戦後80年平和を学び・つなぐ集い
先の大戦で犠牲になった方を追悼するとともに、遺族の労苦に敬意を表し、市勢発展への決意を新たにするため、また若い世代に戦争の悲惨さを伝え、平和の尊さを再認識するために、追悼式を開催します。
追悼式後、戦争体験の証言映像をもとにした上映や、戦争紙芝居の上演などによる、平和を学び、語り継ぐ集いを開催します。
日時:8/26(火)
追悼式…13:30~14:30
平和を学び・つなぐ集い…14:40~15:40
場所:市民会館
対象:市内に居住する方
料金:無料
申込み:当日受付
問合せ:福祉総務課
【電話】232-9169
問合せ:文化交流課
【電話】291-3846