- 発行日 :
- 自治体名 : 栃木県大田原市
- 広報紙名 : 広報おおたわら 令和7年10月号(No.1339)
元 大田原赤十字病院 看護部長 河野順子 氏
■第50回フローレンス・ナイチンゲール記章受章
市内在住の河野順子さんが、看護活動で顕著な功績があった方に贈られる第50回フローレンス・ナイチンゲール記章を受章されました。
この記章は、フローレンス・ナイチンゲール氏の生誕100周年を記念して1920年に始まり、それ以来2年に一度、赤十字国際委員会(スイス・ジュネーブ)から、世界各国で顕著な功績のあった看護師に贈られています。
今回は、17の国と地域から35名が受章し、日本からは河野さんのほか2名が選ばれ、7月31日の記章授与式の際には、皇后陛下から直接記章を授与されました。日本人はこれまでに118人が受章し、栃木県では2人目、大田原市では初の受章となります。
■河野さんの功績
河野さんは看護師になり60年、元県看護協会長などを歴任し、現在は県訪問看護ステーション協議会の相談役を務めています。
旧大田原赤十字病院で看護部長をしているときに、2000年から導入される介護保険制度を見据え、国際医療福祉大学との共同研究事業で、現在の地域包括ケアにつながる「退院計画」の構築に率先して取り組むなど、退院後の患者を地域で受け入れる支援体制の整備に尽力されました。
退院後の患者がその人らしい生活を取り戻せるようにと、河野さんが強い信念を持って取り組んだことにより、地域に「みんなで支え合う」信頼と絆が生まれ、退院した患者のウェルビーイング(より良い暮らし)の実現につながっています。
■受章後にお話を伺いました
Q:看護師時代の思い出をお聞かせください。
▽研修時代について
旧大田原赤十字病院に配属されて3年目のとき、東京の本社にある幹部看護婦研修所で1年間研修を受けることになりました。研修中は、「とにかく一流を学びなさい」と言われ、教養科目から調査研究まで、さまざまなことを学習しました。調査研究の際は、行きたい施設を自分で選択することができたため、誰でも行けるわけでないような有名な大学を希望しました。そこでは、「なぜ患者さんは朝一番に検温をしなければならないのか。それはどのような根拠があるのか。」など、さまざまな研究に携わりました。
研修所での1年は、とにかく厳しいものでしたが、学ぶことの楽しさを知ることができ、その経験が私の看護師としての礎になったと思っています。
▽働きやすい環境づくりの構築について
看護師時代は、働きやすい環境づくり、ワークライフバランスにも力を入れました。看護師の仕事は、もともとは1日3交代制でした。しかし、3交代制では、働くお母さんは仕事が終わる頃には疲れ果ててしまいます。家庭を持っている方が多かったので、どのような勤務形態にすれば働きやすいだろうと考え、当時ほとんどの病院でまだ導入されていなかった2交代制にすることにしました。それと同時に、病院に設置されていた託児所も拡大し、家庭を持つ看護師が働きやすい環境づくりに努めました。この取り組みは、当時一緒に働いていたスタッフたちの理解と協力があったからこそ、実現することができました。
Q:「退院計画」についてお聞かせください。
看護師になり最初に配属されたのが結核病棟でした。結核病棟には働き盛りの若い患者さんもおり、その方が長い入院を経て退院し、自宅に戻られたとき、果たして居場所があるのだろうかということを考えていました。また、ある高齢の患者さんの中には、退院後は施設へ行くという方もいました。退院後は本人の希望どおりに生活できるのか、本人の知らぬ間に施設に入ることになっていたとしたら…、と思ったとき、私だったらゆくゆくはそうしたくないと思いました。そのことが、「その人が住みたいところに住む」ための退院計画を考える上での一つの原点になりました。
そして、介護保険制度の導入を見据え、国際医療福祉大学との共同研究事業で退院計画の構築に取り組むことになりました。その際、地域の保健福祉の専門職の方との連携強化にも力を入れました。退院計画は、まずは院内で導入し、その後テストケースで各病院にも導入し、全国的に広めていくことになりました。
問合せ:情報政策課[本]6階
【電話】0287‒23‒8700
