文化 特集 古墳~先人からのメッセージ~(1)
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- 発行日 :
- 自治体名 : 埼玉県東松山市
- 広報紙名 : 広報ひがしまつやま 2025年7月号No.1149
市内には誇るべき、後世に伝えていきたい唯一無二の歴史遺産が数多くあります。それらは実は皆さんの生活している身近に存在していて、多くの先人たちが力を合わせて現代まで大切に保護してきました。今回はその中でも、市内の古墳に焦点を当ててご紹介します。それぞれの特徴や造られた時代背景などを学びながら、先人からのメッセージに耳を傾けてみませんか?
【古墳とは】
古墳(こふん)は3世紀中ごろから7世紀代にかけて造られた有力者のお墓です。
大きく盛り上げた土(墳丘(ふんきゅう))の中に遺体を埋葬し、まわりを周溝(しゅうこう)と呼ばれる溝で囲っています。墳丘には埴輪(はにわ)と呼ばれる焼き物が立て並べられるほか、表面を石で覆っているものもあります。また遺体とともに鏡などの呪術的な器物(きぶつ)、玉類(たまるい)などの装身具(そうしんぐ)、刀や鏃(やじり)などの武具が副葬品で埋められることもあります。古墳が造られた時代を日本では古墳時代と呼んでいます。
【実はスゴい!!東松山市の古墳】
市には墳丘が失われてしまったものも合わせて679基(令和7年4月時点)の古墳が確認されています。北は大谷地区の山中に分布する三千塚(さんぜんつか)古墳群から、南は高坂台地上に所在する高坂(たかさか)古墳群、諏訪山(すわやま)古墳群、毛塚(けつか)古墳群など、至るところに古墳がある景色が市の古代の風景でした。また古墳時代のはじまりから終わりまで造られ続けたことも大きな特徴で、古凍にある根岸稲荷神社(ねぎしいなりじんじゃ)古墳は県内で最も古い古墳とされています。
【どんな種類がある?古墳の形】
古墳の形で有名なのは、前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)と呼ばれる、上から見ると鍵穴形に見える古墳です。しかし古墳の形は様々で、全国的にも前方後円墳は全体の約3%程度しかありません。
市内に残る古墳のほとんどが円墳(えんぷん)と呼ばれる円形の古墳で、そのほか方墳(ほうふん)、前方後方墳、帆立貝形(ほたてがいがた)古墳などがあります。
【市内の主な古墳】
市内の代表的な古墳を、古墳時代の各時期に沿って紹介します。それぞれの特徴を学ぶと、古代の市内の様子が想像できませんか?
◆古墳時代前期における県内最大の古墳(前期)
○将軍塚(しょうぐんづか)古墳(県指定史跡)
所在地:下野本612・613
現存墳丘長115mの前方後円墳です。本格的な発掘調査は行っていませんが、平成29(2017)年にデジタル三次元測量と地中レーダー探査を行い、古墳墳丘には後円部3段、前方部2段の段があること、周溝が存在しないこと、後円部墳頂(ふんちょう)に石と粘土で造った埋葬施設があることなど、様々なデータが得られました。
この成果と関東地方における古墳の情報を照らし合わせることで、将軍塚古墳が4世紀後半に造られた、当時県域最大の古墳であったことが分かりました。
◆埼玉県内で最も古い埴輪が出土(中期)
○雷電山(らいでんやま)古墳(市指定史跡)
所在地:大谷3506
和田吉野川(わだよしのがわ)と滑川(なめかわ)の支流に挟まれた丘陵地帯の標高94m地点にある、墳丘長86mの帆立貝形古墳です。多くの古墳は盛土(もりど)によって造られていますが、この古墳は下から1、2段目は地山の凝灰岩層(ぎょうかいがんそう)を削って造り、最上段にだけ盛土をして形を造っています。土の確保が難しい丘陵尾根上でより大きな古墳に見せるための工夫が見て取れます。
また墳丘には埴輪が立て並べられていた痕跡(埴輪列)が出土しています。出土した埴輪は、古墳時代の土器である土師器(はじき)の製作技法に近く、この埴輪の製作に土師器を作った人々が関わっていると考えられています。県内最古のもので、埴輪の特徴から、古墳の築造年代は5世紀初頭と考えられています。
◆自然災害が示す古墳の年代(後期)
○おくま山(やま)古墳(市指定史跡)
所在地:古凍92
墳丘長約62mの帆立貝形古墳です。埋葬施設の調査は行われていませんが、周溝については3度に渡って調査が行われています。なかでも1次調査にて出土した盾持人(たてもちびと)埴輪は、盾を持っている形状の埴輪で、出土状況から古墳周溝外側に、古墳を守るように立て並べられていたと考えられます。
また周溝が埋まった土の中から、榛名山二ツ岳(はるなさんふたつだけ)(群馬県)の火山灰(Hr-FA)が確認されました。この火山灰は6世紀初頭に降下したことが分かっていて、この火山灰が古墳に降り積もっていたということは、少なくともこれ以前に古墳が造られていたことを示し、5世紀末頃に古墳が造られたことが分かります。
◆最先端にして至高の横穴式石室(後期末)
○若宮八幡(わかみやはちまん)古墳(県指定史跡)
所在地:石橋2240-1
6世紀後半に築造された現存墳丘径34mの円墳です。この古墳は埋葬施設である全長8.8mの横穴式石室(よこあなしきせきしつ)が現存しています。横穴式石室は古墳の側面に入口(開口部(かいこうぶ))がある構造の埋葬施設で、この古墳の石室は、外と部屋をつなぐ羨道(せんどう)、祭祀(さいし)などを行う前室(ぜんしつ)、遺体を埋葬する玄室(げんしつ)で構成されています。
壁の石同士がかみ合うようにドーム状に積み上げ、さらに天井に大きな石をのせることで、石同士がしっかりかみ合いつつ、自重を分散させるよう工夫されています。こうした形状の石室はこれ以降、埼玉県域だけでなく東京都、神奈川県域(旧武蔵地域)においても、地域トップクラスの古墳に採用され、先駆けの石室でした。