文化 青淵遺薫(せいえんいくん) 栄一のちょっと小話(こばなし)

■11月11日『青淵忌(せいえんき)』
渋沢栄一は、1931(昭和6)年11月11日午前1時50分に、91年の生涯を閉じました。
亡くなる前月に体調を崩し、飛鳥山(あすかやま)(東京都北区)の渋沢邸で療養する栄一のもとには、多くの見舞客が訪れました。そして、亡くなる数日前、栄一は見舞客への伝言として「長い間お世話になりました。私は百歳までも生きて働きたいと思っておりましたが、今度という今度は、もう起(た)ち上がれそうもありません。これは病気が悪いので、私が悪いのではありません。死んだ後も私は皆さまのご事業やご健康をお守りするつもりでおりますので、どうか今後とも他人行儀にはしてくださらないようお願い申します。」と、看病に当たる家族に託しました。
葬儀の行われた11月15日、飛鳥山から青山斎場(あおやまさいじょう)までの沿道の家々には弔旗(ちょうき)が掲げられ、整列した学校や諸団体などの多くの人々に、栄一は見送られました。谷中霊園(やなかれいえん)(東京都台東区)にある渋沢家の墓地には、今も香華(こうげ)の絶える日はありません。
栄一の祥月命日(しょうつきめいにち)である11月11日は、栄一の雅号(がごう)にちなんだ『青淵忌』の名称で、その遺徳をしのぶ行事が市内各所で催されます。
JR深谷駅北口の青淵広場内で行われる栄一翁銅像献花は、今年で31回目を迎え、八基公民館での『にぼうと会』では、栄一が帰郷時に喜んで食べたという煮ぼうとうを遺影に捧げ、栄一の長女歌子(うたこ)作詞の八基小学校校歌が斉唱されます。また、市内の小・中学校では、祥月命日近くに煮ぼうとうが給食に出るなど、青淵忌は、こどもから大人まで、栄一に思いをはせる日となっています。