文化 文化財めぐり vol.02

■紺屋大堀(こうやおおほり)
◆耕地を潤す水の確保に貢献江戸時代から残る農業用水路
紺屋大堀は、紺屋地区の南側を流れる大谷(おおや)川から、地域の東側に広がる田んぼに水を引くための農業用水路です。江戸時代に紺屋村の名主をつとめた原家の当主・菊治が中心となって掘削したという言い伝えから、「菊治堀」とも呼ばれています。
現在の東坂戸一丁目あたりから水を引いた堀は、約1.5kmにわたって集落の中を通っています。文化財案内板が立つ紺屋集会所の近くでは、現在もしっかりとした深い堀が残っていて、東側の田んぼに向かって大きく折れ曲がる様子が見られます。

◇掘削時期を巡る2つの説
堀が作られた時期は、江戸時代の前半という説と、幕末という説の2つがありますが、決め手となる村絵図などは見つかっていません。幕末という説は、大規模な改修工事のことを指しているとも考えられます。

◇水の確保と村人たちの切実な思い
台地に広がる紺屋の集落では、低地を流れる河川から水を取るのが難しく、農業用水の確保に苦労していたようです。そのため耕地を潤す水の確保は村の人々にとって重要な課題であり、堀の掘削を主導した菊治の名は地域の人々の記憶に深く刻まれました。かつて、大谷川の下流に「菊治(地)橋」と名付けられた橋が存在したほどです。
代々紺屋村の名主をつとめた原家は、昭和29年に入間川・越辺川(おっぺがわ)・小畔川(こあぜがわ)の三川分流工事を実現させ、県の治水史に名を残した坂戸市名誉市民の原次郎氏も輩出しています。
地域に残された貴重な遺構である紺屋大堀を訪れて、当時の人々のくらしと水との関わりに想いをはせてみませんか。

問合せ:歴史民俗資料館
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