- 発行日 :
- 自治体名 : 千葉県佐倉市
- 広報紙名 : こうほう佐倉 2025年8月15日号(1459号)
■佐倉平和使節団
市では、戦争の悲惨さや核兵器の恐ろしさ、平和の尊さを学ぶため、市内の中学生の代表を被爆地の広島・長崎に派遣しています。
平成8年から昨年までに、計433人を広島・長崎に派遣しており、今年は、中学生24人が8月8日~10日に長崎市を訪問しました。
平和使節団の目的は、被爆地を訪問することだけではなく、現地で学んだことや平和の大切さを、自分の言葉で周りの人たちに伝えることにもあります。そのため、被爆地訪問後は、佐倉市平和式典での活動報告や戦没者追悼式で群読を行うほか、各学校の集会などで使節団で体験したことや感じたことを発表し、平和への思いを同世代の仲間たちにつないでいます。
※今年度の長崎訪問の詳細は、こうほう佐倉9月15日号でお知らせします
※昨年の平和使節団の様子は、本紙をご覧ください。
▽令和7 年度 佐倉平和使節団 団長 出発前の決意
団長 後藤さん
学んだことを、自分の言葉で多くの人に伝えたい
ニュースや学校の授業で戦争について学んでも、どこか他人事のようにしか感じられなかった小学校のころに、佐倉市のYouTube で「平和使節団」の活動を知り、興味を持ちました。
中学生になり、平和使節団に参加した先輩の活動報告を聞き、予科練平和記念館を訪れ、自ら感じた戦争の悲惨さと、今ある平和な日常がいかに恵まれているかを改めて考えさせられ、自分が感じたこの気持ちを伝えていかないといけないと思うようになりました。
今回参加させていただく長崎訪問では、多くの人と話し、色々な角度から戦争や平和について考える機会になると思います。その貴重な経験をもとに、現地で学んだことや感じたことを自分の言葉で、たくさんの人に伝えていきたいです。
▽平和使節団の活動は多くのかたの善意に支えられています―佐倉平和使節団基金―
佐倉平和使節団の中学生の派遣費用は、「佐倉平和使節団基金」から充てられています。
この基金は、市内在住で、佐倉市原爆被爆者の会代表であった故山本昌司(まさし)さん(平成27年ご逝去)のご寄附2000万円を原資に設置され、その後、山本さんの遺言により、さらに約1億913万円が遺贈されました。
また、今では「ふるさと納税」により、全国から寄付が寄せられるようになり、使節団の活動は多くのかたの善意に支えられています。
「被爆地訪問では友達をつくり、たくさん話をしてください。皆さんが笑顔でいるのが一番です。平和な世の中が続くよう念願しています。」
(山本さんの平和使節団への激励の言葉より・平成27年度)
■戦争体験談を紹介します
戦争の記憶を継承し、未来に伝えていくため、昨年「戦争体験談」を募集しました。
今回は、ご応募いただいた中からその一部を紹介します。紹介した体験談の全文やご応募いただいた他の体験談は、市ホームページ(右記)からご覧いただけます。
▽戦争体験と食料難について
山下 迪也さん
昭和20年6月下旬、福井県の叔母の家に、東京から疎開することになり、ここから厳しい食生活が始まりました。「配給」は滞り、野草を取ったり、イナゴ、タニシなど食べられる物は全て食べました。
9月から学校が始まりましたが、週2回程しか弁当を持って行けませんでした。弁当が無い日は、昼食時、校庭の隅で遊んでいて、同じような人が1クラス数人いました。また、弁当が盗まれる事件が発生すると、犯人は都会から来た連中だと見られ差別され、遊び仲間は大阪や名古屋から来た人などでした。ただ1回だけお正月に、母親の実家に行き、白いご飯と餅を食べました。戦争中・戦後の食料不足は深刻で、ある人は戦争で一番辛かったのは「ひもじさ」だと言いました。
▽思ひ出の記
小出 美代子さん
昭和20年5月25日から26日未明にかけての空襲で、東京山の手方面は焼野原となったのです。新宿から中野・杉並方面は見渡す限りの焼野原でした。これが昨日までの東京かと思うほどの瓦礫の山に、煙りと硝煙の匂いがあちこちに立ち登っていました。
私は中野区の宝仙寺前あたりに実家がありましたが、家族全員が助かったことは何よりの幸せでした。これからどうして生きていくか皆一生懸命でした。空襲の中で亡くなった友達は数知れず、止むなく遠い田舎へ行った近隣の人達。そんな中で人々は、焼跡のトタン板や木材の焼け残りなどでバラックを建て始めました。
昭和20年8月15日の玉音放送によって敗戦を知りました。日本が戦いに負けたという口惜し涙と、明日からは空襲がなくなるという心の安らぎを覚えたものです。
■平和学習支援
市内在住・在学の小・中・高校生を対象に、茨城県の阿見町にある「予科練平和記念館」の観覧料補助を行っています。
海軍のパイロット養成施設であった「予科練」では、現在の中学生から高校生くらいの年齢の少年たちが訓練を受けていましたが、第二次世界大戦時、たくさんの卒業生が戦場で亡くなりました。
記念館では、戦時中に少年たちが何を考え、どのように暮らしていたのか、当時の写真や資料を通して紹介しています。
詳細は市ホームページをご覧ください
※二次元コードは、本紙をご覧ください。
■未来へつなぐ平和への願い
佐倉市長 西田 三十五
今年、戦後80年という節目を迎えました。戦争を直接知る世代が少なくなる中、戦争の悲惨さと平和の尊さを次世代へ伝えていくことは、ますます重要になっています。また、世界に目を向ければ、今なお戦火が絶えない地域があり、平和の価値が改めて問われています。
佐倉市では、平和使節団の派遣や小学校での祈念講話、パネル展示、市民団体との連携による講演会など、戦争の記憶と平和への願いを伝える活動を続けています。こうした活動を通じて、こどもたちが「伝え続ける人たち」の思いに触れ、自ら考える機会を持つことは、記憶の継承と平和づくりの第一歩になると確信しております。
今ある平和は、多くの犠牲の上に築かれたものであり、私たち一人ひとりがその意味を深く理解し、守り続けていくことが大切です。未来を担うこどもたちの心に、平和への願いがしっかりと根づくよう、今後も市民の皆さまと共に恒久の世界平和を目指し、さまざまな事業を推進してまいります。
問い合わせ:広報課
【電話】484-6103