文化 歴史資料館 連載四〇〇

■馬琴と八犬伝
安房国を発端として八犬士が波乱万丈(はらんばんじょう)な活躍をする「南総里見八犬伝」。曲亭馬琴(きょくていばきん)が二十八年もの歳月をかけて創り上げた江戸時代を代表する壮大な物語です。馬琴は貧しい武家の家に生まれました。家を飛び出し、戯作者(げさくしゃ)になろうと、当時の一流作家、山東京伝(さんとうきょうでん)の門をたたきます。しかし京伝は弟子は取らず、版元の蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)を紹介され、馬琴は蔦屋の番頭として奉公することになります。ここで戯作に関わる人たちや作品に接し、修練し、戯作者としての基礎を形作っていきます。蔦屋重三郎も彼の才能を期待していました。馬琴の下駄屋への婿(むこ)入りを斡旋(あっせん)したのも京伝と蔦重だったと言います。
その頃、蔦重のもとでもう一人、目をかけられていた勝川派の若き浮世絵師がいました。春朗(しゅんろう)です。蔦重は春朗に黄表紙挿絵(きびょうしさしえ)や役者絵などで関わらせました。若き馬琴が文を書き、春朗が挿絵を描いた黄表紙が蔦屋から出ているのです。
しかし、光るものを感じながら、いまだ個性を出しきれない春朗より、蔦重は写楽(しゃらく)と言う無名の絵師を役者絵で大々的にプロデュースします。春朗は勝川派を飛び出し、絵師としての自分独自の道を追求し続け、やがて北斎(ほくさい)と名乗ることになります。
二人が世間に認められ、大いに活躍するようになった時、残念ながら蔦重はすでにこの世にはいませんでした。
「南総里見八犬伝」は、馬琴が、家族や自身の葛藤(かっとう)や挫折(ざせつ)、苦悩を経て、最後の3年は目が見えなくなり、息子の嫁に口述筆記(こうじゅつひっき)させ完成させた、文字通り精魂(せいこん)かけた集大成とも言える作品でした。
菱川師宣記念館では特別展「南総里見八犬伝 曲亭馬琴とその時代」を九月十五日まで開催しています。八犬伝はどうやって生まれたのか。馬琴の盟友の北斎、京伝、崋山、写楽、歌麿らの貴重な作品を展示し、八犬伝のさらなる魅力を紹介しています。