- 発行日 :
- 自治体名 : 東京都台東区
- 広報紙名 : 広報たいとう 令和7年9月20日号
■その八 蔦重ゆかりの人物(6) 石川雅望(いしかわまさもち)
石川雅望は、狂歌師、国学者。宝暦3年(1753)生、天保元年(1830)没。墓は、蔵前の榧寺(かやでら)に現存しています。別号に六樹園(ろくじゅえん)・宿屋(やどや)の飯盛(めしもり)などがあります。狂歌を大田南畝(おおたなんぽ)に学び、蔦重から天明7年(1787)に刊行された『画本虫撰(えほんむしえらみ)』をはじめ、『職人尽狂歌合(しょくにんづくしきょうかあわせ)』『万代狂歌集(まんだいきょうかしゅう)』など狂歌を集めた書物を多く手がけました。
◇「絹本着色朝顔(けんぽんちゃくしょくあさがお)・蜻蛉図(とんぼず)」
入谷朝顔市で有名な入谷子母神(いりやしもじん)(真源寺)にある「絹本着色朝顔・蜻蛉図」(区有形文化財)は、同一の面に、酒月米人(さかづきのこめんど)、大田南畝、麦藁笛成(むぎわらのふえなり)、窪俊満(くぼしゅんまん)、鹿都部真顔(しかつべのまがお)、石川雅望、三陀羅法師(さんだらほうし)、浅草市人(あさくさのいちんど)、山東京伝(さんとうきょうでん)、曲亭馬琴(きょくていばきん)の10名が狂歌・俳諧をそれぞれ寄せ書きしたものです。絵は2代歌麿と窪俊満が描きました。文化6年(1809)から8年の間に制作され、大御所・大田南畝が狂歌界から遠ざかり、雅望と鹿都部真顔とがその後の狂歌界を二分していた時期に当たります。本屋から出版された印刷物ではありませんが、本図は、自派の構成員獲得に向けた狂歌師の宣伝活動の試みの一つと考えられ、雅望が中心になって制作された可能性があります。雅望の歌は、
ふかくさは鶉(うずら)に鴫(しぎ)に雁(かり)の声 とりあつめたる秋のあはれさ 六樹園
とありますが、ほかに朝顔が多く詠みこまれているように、秋を詠んだ作品を一堂に集めたものとなっています(朝顔の季語は秋)。
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