文化 蔦重と江戸文化

■その十一 蔦重ゆかりの人物(9) 喜多川歌麿(きたがわうたまろ)
喜多川歌麿は、蔦重に才能を見いだされた浮世絵師の一人です。生年・出生地などは不明ですが、幼い頃に絵師の鳥山石燕(とりやませきえん)に学び、当初北川豊章(きたがわとよあき)の画号で挿絵を多く手掛けていました。天明元年(1781)頃に喜多川歌麿を名乗ってからは、徐々に才能を開花させます。
狂歌絵本『画本虫撰(えほんむしえらみ)』における描写力で注目を集めた歌麿は、寛政3年(1791)頃から美人画の制作を始めました。もともと観察力に優れていた歌麿は、写生の力で人の表情をとらえることに成功し、役者絵に見られた人物の上半身を大きく配する大首絵の構図を、蔦重とともに美人画に取り入れました。その結果、歌麿は女性の表情やしぐさを余すことなく描き出せる「美人大首絵(びじんおおくびえ)」で一世を風靡(ふうび)することとなります。

◇「ポッピンを吹く娘」喜多川歌麿画 寛政4~5年(1792~93)頃蔦屋重三郎出版
「婦人相学十躰(ふじんそうがくじってい)」と「婦女人相十品(ふじょにんそうじっぽん)」は歌麿による雲母摺(きらずり)の大首絵シリーズの代表作です。雲母摺は背景を雲母(うんも)の粉末を用いて摺る技法であり、雲母は光源の角度を変えてみることで、まるで真珠のようなきめ細やかな輝きを放ち、画面全体に柔らかな明るさと奥行きをもたらします。
この初期の作品シリーズの中で、「ポッピンを吹く娘」は歌麿の代表作としても広く知られています。ポッピンというガラス細工のおもちゃを口にした町娘が、ふいに声をかけられ、振り返ったことで市松模様の華やかな着物の袖が翻った瞬間をとらえた作品です。

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