- 発行日 :
- 自治体名 : 東京都墨田区
- 広報紙名 : 墨田区のお知らせ「すみだ」 2025年10月11日号
■すみだ郷土文化資料館(向島二丁目3番5号)
開館時間:午前9時から午後5時まで
*入館は午後4時半まで
*月曜日、第4火曜日、年末年始は休館
*休館日やイベント等の詳細は区HPを参照
入館料:
・個人…100円
・団体(20人以上)…1人80円
*中学生以下、障害のある方とその介助者は無料
お話を聞いたのは
学芸員 石橋 星志さん
◆資料館の展示で学ぶ歴史
今回は資料館の常設展示に加え、9月まで開催していた企画展「東京大空襲80年“空襲被害写真と空襲体験画を見つめて”」も取材しました。
◇300枚の空襲体験画
資料館には空襲に関する資料が多く展示されていて、それらは寄贈されたものが中心です。空襲体験画は、2003年に資料館がメディアを通じた呼び掛けを行ったことで集まり、約100人から、合計で300枚ほどの絵が寄せられました。
取材した中で一番印象に残った絵は、「亀戸駅付近“強い火焰(かえん)によって白骨化した人々”」です。この作品には、空襲に遭い白骨化した人々が、道の両脇に重なる様子が描かれています。しかし、この絵を描いた人は、当時骨は足元にもあったと証言しているそうです。証言と絵の内容が違うことを不思議に思いましたが、記憶のとおり描こうと思っても描けないくらい悲惨だったのだろうと想像しました。
◇来館者への思い
学芸員の石橋さんは、資料館を訪れた人に「戦争は本当にあったんだ」と実感してもらいたいと話していました。そのため、資料館の展示は年齢や住んでいる地域を問わず興味を持ってもらえるように、「間口の広さ」が意識されています。悲惨な資料も避けずに展示するのは、来館者に「戦争」というテーマの重さを感じてほしいからだそうです。
また、学芸員として空襲の時間や規模などの実態を詳しく調べ、来館者が被害の様子をできるだけリアルに想像できるよう努めているそうです。空襲・戦争体験者から話を聞く機会も、積極的に設けていきたいと話していました。
◇取材を通して
空襲・戦争体験者が描いた絵や当時の資料を実際に見て、多くの人々の命を奪い、心を傷つけた戦争を二度と起こしてはいけないと感じました。
空襲・戦争体験者の高齢化により直接お話を聞ける機会は減っていますが、空襲は日本の歴史の1つとして、風化させてはいけないと思います。そして、同じ悲劇を繰り返さないように、これからは戦争を体験していない私たちの世代が、戦争について積極的に考えることが必要です。すみだ郷土文化資料館では、すみだの歴史や空襲について詳しく学べるので、ぜひ訪れてみてほしいです。
◆戦争の記憶を言葉に…次世代へ伝える空襲と疎開の証言
資料だけでは分からない、体験した人の言葉だからこそ伝わる当時の状況や思いがあります。実際に戦争や空襲を体験した、星野雅子さんと中島邦雄さんからお話を聞きました。
◇空襲と戦後の暮らし
墨田区で生まれ育った星野さんからは、東京大空襲の体験談を聞きました。
星野さんは大空襲のとき、今のすみだ郷土文化資料館の近くにある実家にいて、家族や隣の家の方と一緒に錦糸公園へ逃げ、生き延びました。錦糸公園から上野駅が見えるくらい、辺り一面が焼け野原だったそうです。
8月15日、終戦を知らせる玉音放送を聴いた星野さんは、戦争に負けたことで「これから日本や自分たちはどうなるのだろう」と暗い気持ちになったそうです。戦後も数年は食糧難や住宅難が続きました。米や野菜も配給で購入したものでは足りず、闇市や農家を訪ねて、着物などと物々交換をしてもらわないと手に入りませんでした。
◇来なくなった手紙
空襲で浅草にいた家族を亡くし、戦災孤児になった中島さんからは、当時の集団疎開についてのお話を聞きました。
中島さんは宮城に集団疎開していて、当時は空襲の恐ろしさを知らなかったといいます。唯一の情報源だった家族からの手紙は3月10日を最後に来なくなり、東京の悲惨な状況も知らなかったそうです。
終戦から数か月が経った11月末に、中島さんは親戚に引き取られて疎開先から東京へ戻りました。戦争が終わり、ほっとしている社会の雰囲気の中、親を失い孤児として生きていく残酷さを感じたそうです。
◇記憶をつなぐために
お2人に戦争の体験を伝える活動をどのような思いで続けてきたか聞くと、「亡くなった人たちの思いを背負っていきたい」「どんなに平和が大切かを伝えていかなければならない」と答えてくれました。
しかし、戦争の体験談を聞くことは、時が経てば経つほど難しくなります。だからこそ、私たち若者が戦争について知り、平和の大切さを考え、ほかの人に伝えていくことが必要だと思います。世界では今も様々な場所で戦争が起こっていますが、戦争を起こしていい理由も、戦争から生まれるものもないということを、この取材から改めて感じました。戦争について学び、体験した人の記憶や思いを未来へつないでいきたいです。
