文化 すぎなみビト 久保田朋子 杉並光友会(原爆被害者の会)(2)

■杉並光友会での証言活動。戦争を知らない世代へ
─久保田さんが杉並光友会に入会したのはいつですか?
戦後は練馬の家に戻って暮らし、結婚後は夫の仕事の関係で東京を離れた時期もありますが、杉並に住むようになって50年近くになります。杉並光友会に入会したのが平成15年。終戦後、言論統制があったこともありますが、幼少期のひどい被爆体験は人前で口にすることはないだろうと思っていました。でも、証言活動を中心に光友会の活動に少しずつ関わるうちに、会の一員として参加するようになりました。

─活動の中で特に印象深い出来事があればぜひ教えてください。
毎年、区内の小中学校を訪れて証言活動をしています。子どもたちは真剣に被爆体験を聞いてくれて、素直にいろいろな質問をしてきます。ある小学校で証言を始める前に、初めて被爆者である私を目にした6年生の男の子が「火傷してないんだ」と驚いたように言いました。教科書などを見て被爆者とは火傷を負っているものだと思っていたのでしょう。そのとき、原爆の恐ろしさはそんな風にしか伝わっていないのかもしれないと思いました。その子には「表には分からないけれど、心に火傷しているのよ」と話しました。

─原爆の恐ろしさを伝えることには、難しさや苦労もあることと思います。
原爆の恐ろしさは何より、投下されたそのときで終わらないことです。私の家族は、被爆4年後に姉、8年後に下の兄が亡くなり、母は12年後に白血病で亡くなりました。被爆した人は、そんな風にいつ原爆の後遺症が出るか分からない恐ろしさを抱えてきました。もちろん、原爆に限ったことではありませんが、悲惨な体験というのはずっと記憶から消えてくれません。喉が渇いて水が欲しいとき、今でもふと向かいのお兄さんの「水が欲しい」という言葉を思い出しますし、原爆で亡くなった人を空き地で焼くにおいも忘れません。稲光はあの日の記憶をすぐに呼び起こすので今も怖いです。
子どもたちに伝えるとき、あまりショックを与えてはいけないと思う一方で、ありのままを話して、本当の恐ろしさを知ってもらわなければという思いもあるので、その加減が難しいですね。

─長く証言活動を続けてきたのは、どのような思いからでしょうか?
戦争の実態は話し続けなければ忘れられ、再び繰り返される危険性があります。子どもたちの中には「帰ったら今日の話を家族に話します」と言ってくれる子もいます。素直に耳を傾け、少しでも平和に対して心を動かしてくれたことを嬉しく思います。私たちに残された時間は長くありませんが、全てが伝わらなくてもできる限り多くの人に知ってほしいです。

─戦後80年を迎える今、戦争を体験していない世代へ久保田さんが伝えたいことは何ですか?
世界では今も戦争が起きていて、戦争がある限り世界は平和ではないということです。ところが自分の国で戦争が起きていないと、平和活動なんて自分がやる必要はない、誰かがやっているからいいのだと思ってしまう。でも戦争は知らないうちに私たちに忍び寄ってきて、ずるずると始まる。私も、当時戦争が起きるなんて思わずにのどかに暮らしていたのですから。そして、始まってしまえばなかなか終えることができないのが戦争です。平和は一人一人が関心を持って初めて保たれるもの。自分で物事を考えることが大切です。人ごとではなく「自分が平和を保つのだ」という気持ちで、一人でも多くの人に関心を持ち続けてほしいと願っています。

■杉並区戦後80年事業
ヒロシマ原爆・平和展
戦後80年の節目を迎える本年は、広島市との初めての共催により、展示などを行います。
日時:8月2日(土)~15日(金)午前8時30分~午後5時(15日は4時まで)
場所:区役所1階ロビー・2階区民ギャラリー
内容:広島平和記念資料館所蔵の被爆資料展示ほか
その他:8月2日に関連イベントあり

問合せ:区民生活部管理課平和事業担当

■YouTubeで配信中!
すぎなみビトMOVIE
すぎなみビト「久保田朋子さん」のインタビュー動画を、本紙右2次元コードからご覧いただけます。

※すぎなみビト…区内外で活躍する区民などの紹介を通して、地域の魅力を発信していきます(毎月15日号に掲載)。