文化 【故郷の人物を知ろう】たかおか温故知新(おんこちしん)

■瑞龍寺開山 広山恕陽(こうざんじょよう)(?~1623)

国宝・瑞龍寺を開いたのは、曹洞宗の広山で恕陽は字(あざな)(氏名以外の通称)です。上野(こうずけ)(群馬県)出身とされていますが、一説には越前府中(福井県越前市)の味噌屋又右衛門の二男で富山町肝煎(きもいり)・越前屋甚右衛門の弟ともいわれています(『高岡知名録』)。幼時に大中(だいちゅう)寺(栃木市大平町(おおひらまち))にて出家しました。
越前府中の宝円寺・象山徐芸(ぞうざんじょうん)(曹洞宗通幻(つうげん)派)に入門し、その法を嗣(つ)ぎます。また、總持寺祖院(そうじじそいん)(輪島市門前)で禅道を学んだのち、越前宝円寺、丹波永沢(ようたく)寺(兵庫県三田市(さんだし))、越前龍泉寺(越前市)、禅林寺(同)など通幻派(つうげんは)の名刹の住職を歴任しました。
1598年、金沢宝円寺(金沢市)の三代目の住職となり、1605年、以前より帰依を受けていた前田利長の隠居に従い富山へ移ります。1613年には高岡へ移り、病床の利長に教えを授けました。この時高岡に「一宇」(お堂が一つ)だけの「宝円寺」を建立したとあります(「瑞龍寺由緒書上写」)。1614年の利長逝去後、宝円寺から改称した瑞龍院(のち瑞龍寺)の開山となりました。さらに、広山は信光寺(高岡市)、広乾寺(同)、延暦寺(氷見市)、常松寺(金沢市)、長寿寺(射水市)、長朔寺(同)などの開山にもなっています。(仁ヶ竹主幹)

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