- 発行日 :
- 自治体名 : 富山県氷見市
- 広報紙名 : 広報ひみ 令和7年3月号
◆〜オニバスを通した交流〜
的場冨士彦は、明治2年に十二町村の矢崎嘉十郎の三男として生まれ、同村の的場家の養子になりました。十二町村村長や氷見郡会議員を務めるとともに、オニバスの研究でも知られています。無窮庵(むきゅうあん)と号し、昭和18年に74歳で亡くなりました。
大正11年8月、内務省史蹟名勝天然記念物調査会の三好学博士が富山県を訪れ、12日に十二町潟オニバスや上日寺イチョウなどを調査しています。この結果、翌12年3月7日に十二町潟オニバス発生地が国指定天然記念物になりました。この頃から冨士彦はオニバスの研究に本格的に取り組み、大正14年に三好博士の校閲を受けて、研究書『おにばす』を出版しました。また昭和2年には、牧野富太郎博士とオニバスの生態について、書簡でやり取りをしています。
三好博士は、東京帝国大学植物学教室で学んでいた時に、同教室に出入りしていた同い年の牧野博士と知り合い、その後も友人として交流していました。おそらく、三好博士の仲介があって、冨士彦と牧野博士との交流が生まれたのでしょう。
昭和10年8月、立山登山を終えた牧野博士は26日に氷見を訪れ、十二町潟のオニバスを見学しました。的場家の庭で撮影された記念写真には、牧野博士(73歳)と冨士彦(66歳)に加えて、県内で活躍した生物学者菊池勘左衛門(40歳)と植物学者進野久五郎(34歳)も写っています。また、牧野博士はこの時、「布しき連つらぬおにはすの葉は鬼の子等遊ひ戯むる席むしろなるらむ」の短歌を詠みました。これらの写真や短歌色紙は、16日まで開催の博物館特別展「ひみはくコレクション」で展示しています。
(博物館主任学芸員 大野 究)
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