文化 ふるさとの誇り219 ○(まる)博レポート

■国重要文化財指定30周年!!(2)
鋳物師屋遺跡発掘のキセキ

▽鋳物師屋(いもじや)遺跡発掘調査の軌跡
先月号でご紹介したとおり、鋳物師屋遺跡は平成4年に櫛形地区拠点工業団地の造成計画に伴って発掘調査が行われた遺跡ですが、実はそれより前の昭和61年に第1期造成計画範囲内で「〆木(しめぎ)遺跡」が調査され、続いて平成2年に工業団地に接する市道の範囲内で「川上道下(かわかみみちした)遺跡」が調査されています。それらに続いて第2期造成計画に伴って調査されたのが「鋳物師屋遺跡」なのです(左上の表参照)。それぞれ遺跡名は違いますが、縄文時代のムラ跡はこれらの遺跡にまたがって広がっていたことがわかりました。

▽鋳物師屋遺跡の奇跡
鋳物師屋遺跡の縄文時代の出土品は、縄文人の精神世界を物語るような特殊な文様の土器や土偶が、ゴロゴロとほぼ完全な姿で出土していることが特徴と言え、205点が一括で国の重要文化財に指定されています。(右頁上の写真)。
これには理由があります。右頁の下の写真をご覧ください。作業員さんが竪穴住居内で作業を行っていますが、その背面に広がるのは、大きな礫(れき)や石の数々。まるで土石流後のニュース映像のようです。
このムラは、河川に近く、水が得やすい市之瀬台地の下に立地していますが、その分土石流や河川の氾濫にも遭いやすい環境と言えます。このような場所に縄文時代の遺跡があるとは想像しにくいのですが、この大量の礫を取り除くと、なんとその下から竪穴住居の跡がいくつも現れたのです。つまり、土石流による大量の礫でムラごとパックされたことで、5千年もの間、土器などが良好な状態で保存されていたのでした。さらに、この大量の礫をかき分けての粘り強い調査により大発見へと繋がっていったのです。
(写真・文 文化財課)

■鋳物師屋遺跡 発掘調査とその後の軌跡
・昭和57年度 櫛形地区拠点工業団地造成事業の計画スタート
・昭和58年度 計画範囲において現地踏査→遺物の存在を確認!
・昭和60年度 40,000平方メートルを対象に旧櫛形町によって試掘調査を実施
・昭和61年度 第1期造成範囲内にて「〆木遺跡」発掘調査実施(6,000平方メートル)
・平成元年度 櫛形町全域の埋蔵文化財分布調査実施→町全体の遺跡を把握!
・平成2年度 町道範囲内にて「川上道下遺跡」発掘調査実施(2,000平方メートル)
・平成4年~5年 第2期造成範囲内にて「鋳物師屋遺跡」発掘調査実施(13,000平方メートル)
・平成5年度 鋳物師屋遺跡発掘調査の整理作業を実施→報告書刊行
※平成7年6月15日 出土資料が国の重要文化財に指定される!←調査後わずか2年で!
この間に大英博物館などの海外の博物館に貸し出すこと7回!
・平成27年度 「子宝の女神ラヴィ」が全国どぐキャラ総選挙で優勝!
・平成30年度 日本遺産「星降る中部高地の縄文世界」に認定
・令和3年度 「ぴ~す」が縄文ドキドキ総選挙で優勝!

■ふるさと文化伝承館テーマ展 重要文化財指定30周年記念展
「鋳物師屋遺跡の世界観とその仲間たち」
期間:10.3(金)~12.10(水)
場所:ふるさと文化伝承館2階
鋳物師屋遺跡の土器や土偶を解明するため、県内外から解明のヒントを持つ土器・土偶を集めちゃいました!この組み合わせを同時に観られるのは超貴重!

詳細は本紙をご覧ください。