- 発行日 :
- 自治体名 : 山梨県北杜市
- 広報紙名 : 広報ほくと 令和7年9月号
■長沢口留番所(くちどめばんしょ)と通行手形
北杜市郷土資料館では、8月2日から企画展「佐久往還、北杜を往く―道に刻まれた千年の足跡―」を開催中です。国道141号線の基礎となった旧街道「佐久往還」にスポットを当て、平安時代にまでさかのぼる道の歴史にまつわる資料を多数展示しています。今回はその中から、高根町の長沢口留番所を紹介します。
○「口留番所」とは
そもそも口留番所とは、江戸時代に旅行者や荷物に不審な点がないかを監視していた施設のことをいいます。『甲斐国志』によると、北杜市域には甲信国境の要所11カ所に口留番所が置かれていたようです。今回の企画展で取り扱う長沢口留番所は、戦国時代から佐久方面の国境を監視してきた関所の機能を踏襲(とうしゅう)するもので、2人の番人が置かれました。うち1人は戦国時代に関守(せきもり)を担っていたという長沢主膳(しゅぜん)の子孫の家が、もう1人は長沢村の住人とその枝郷(えだごう)(※1)である東井出組の住人が日替わりで務めました。彼らには、勤務した分麦や籾の支給があったり、諸役が一部免除されたりしました。
○長沢口留番所を通った人々
口留番所のあった長沢の集落には、17世紀半ば以降に使用された通行手形(通行許可証)が現在でも数多く残されています。手形を持つ者は、事前に口留番所へ提出されている手形発行者(領主や村役人、社寺など)の印鑑と自分の手形を照会してもらうことで番所を通行できたのです。長沢の場合、この照会作業は問屋と呼ばれる家が請け負っていました。
さて、番所の番人を務めた長沢主膳の子孫の家には334通の手形が保存されており、それらを目的別に分析すると、社寺参詣を目的とする旅行者のものが135通と最も大きな割合を占めています。その行き先として、山梨県域では御嶽山、海岸寺、甲斐善光寺、身延山が多く、長野県域では善光寺が人気だったようです。
企画展では、この他にもかつての北杜と佐久の関係を伝える資料や、佐久往還沿いだからこそ生まれた数々の資料を展示しています。ぜひ足をお運びください。
※1 近世、本村の中に開発によりできた新しい村落や、本村の村高を分割してできた新村。
問合せ:学術課(郷土資料館)
【電話】32・6498
【FAX】32・6497