文化 物知り先生のふるさと情報

■恵那の街道 その三
黒瀬街道 ~陸運と水運を結ぶ道~
西部良治(りょうじ)さん

黒瀬街道は、現在の加茂郡八百津町黒瀬から恵那市内を通り、中津川市苗木までを結ぶ全長約40キロメートルの街道です。戦国時代から近代にかけて、木曽川以北の村へ物資を運ぶ重要な街道として利用されてきました。
黒瀬街道は下街道や中馬街道とは異なり、中山道などの主要街道と直接つながっていませんでしたが、黒瀬には「黒瀬湊みなと」という川湊がありました。黒瀬湊は川舟で木曽川をさかのぼることができる最終地点で、木曽川下流域や桑名、名古屋へ運ぶ物資や、下流域から運ばれた物資の集積地になっていました。
苗木藩では、領内で集めた年貢米を黒瀬街道を通って黒瀬湊へ運び、そこから川舟で桑名へ送りました。桑名からは「廻船(かいせん)」で海路を通って江戸へと届けられました。黒瀬街道は、陸運と水運を結ぶ流通の要として、江戸と地方をつなぐ大切な役割を果たしていたのです。
明治時代の中頃になっても黒瀬湊は活気を保ち、桑名へは年間平均20.5回、名古屋へは51.5回、川舟が往復していました。
黒瀬街道が市内を通るのは中野方町だけで、直線状に約8キロメートル、西から東へ町を横断しています。西側は八百津町潮見から標高760メートルの坂折峠に入ります。ここは黒瀬街道の最高地点で、坂折から岩竹、新畑、道場、力石、笹場を経て、標高725メートルのたがみ峠を越えて蛭川へ抜けます。今も中野方町内には黒瀬街道の道跡が残っています。