- 発行日 :
- 自治体名 : 静岡県御殿場市
- 広報紙名 : 広報ごてんば 令和7年3月20日号
■特殊詐欺【被害者】の声
ー伊藤さん(仮名)ー
市内で独り暮らし
子どもはすでに独立し県外に居住している
◇はじまりは一本の電話
市内の閑静な住宅街、一軒家に独りで住んでいる伊藤さんに一本の電話が掛かったのは、春の陽気が心地よい4月下旬の頃だった。
「東京の、聞いたこともない通信会社を名乗る若い女性からでした。伊藤名義でスマホが契約されていて、本人かどうかの確認がしたいと。そのやり取りが始まりでした」
普段はめったに固定電話への着信には出ないと語る伊藤さん。女性とやり取りをするうちに、担当を名乗る男に電話が繋がれた。
◇警察官を名乗る男「タナベ」
タナベは物腰の柔らかい、落ち着いた声で話をする男だった。
しかし、巧妙に会話を重ねながら伊藤さんの不安を煽る。
「携帯だけじゃなく、銀行口座も自分名義で作られていると。それが犯罪に使われていて、自分が容疑者として捜査線上に挙がっているとも言われました」
冷静に考えれば不自然な電話だったと振り返る。
だが、当時の伊藤さんの頭にあったのは、警察官を名乗るタナベという男に対する疑いではなく、なぜ自分の名前が犯罪に使われてしまったのかという驚きだった。
「タナベは、警察官の証明書や捜査に関する書類を見せたいからメールを教えてくれ、と言い、その通りにしました。そして、ほどなくしてその書類が送られてきました」
警察官だと信じ切った伊藤さんとタナベとの偽りの信頼関係は、このやり取りから始まった-
◇自分だけは大丈夫、根拠のない自信があった
その日以降、伊藤さんは朝昼晩毎日かかさずタナベとやり取りを行なった。捜査の進捗状況を共有するためだ。
「自分名義の架空口座の件で裁判沙汰になっていて、このままでは逮捕状が出るかもしれないと。懸命に捜査しているから、伊藤さんのことは必ず自分が守る、と言われました。今思えば滑こっ稽けいですよね」
日を追うごとに、伊藤さんの置かれている状況が危うくなっていると話すタナベ。そして、5日目の昼に事態は急展開する。
「裁判官とタナベが、令状を出す・出さないで喧嘩している様子を電話で聞かされました。ものすごい剣幕でやりあっていたので、タナベは本気で自分を守っているんだ、とあの時の自分は完全に信用してしまっていたんです」
激論の末、タナベが裁判官から「取り付けた」条件は単純明快だった。
示談金を支払うことである。「今すぐ振り込まないと逮捕」
冷静に考えれば、伊藤さんは事件に全く関わっていない。
そんな単純なことも思いつかないくらい、伊藤さんは追い詰められていた。思考を埋め尽くしていたのは、今すぐ示談金を振り込まないと逮捕される、という焦りだけだった。
「電話の後、すぐに金融機関で手続きを行いました。そして振り込んだ旨を電話で伝えました。それが、タナベとの最後のやり取りでした」
結末はあっけなかった。その日以降、タナベに連絡を取ろうとしても繋がらない。不審に思い、ようやく警察に相談して詐欺だと発覚した。
「自分だけは大丈夫だと、根拠のない自信がありました。詐欺なんてテレビの向こう側の出来事だと。自分に降り掛かるとは思ってもいませんでした」
そう肩を落とす伊藤さんに残ったのは、空になった通帳と後悔だった。
◎発端となる電話のあった固定電話機(画像一部加工)
事件以来、知らない番号からの電話に出ることはやめ、通信手段は高齢者向けのスマホに切り替えた。
固定電話機を見るたびに事件のことがフラッシュバックするが、自戒の念を込めそのまま置いてあるという。
◎通帳に記載された振込履歴(画像一部加工)
伊藤さんには、詐欺を未然に防げたかもしれない機会が一度だけあった。金融機関の窓口で振込をする際に、職員に詐欺の可能性を問われた時だ。
しかし伊藤さんは「借金返済のため」と答え、大金を動かす本当の理由をごまかしてしまい、手続きは完了してしまった。こうして、老後のためにコツコツ貯めてきた金や退職金は一瞬で消えた。