- 発行日 :
- 自治体名 : 静岡県伊豆の国市
- 広報紙名 : 広報いずのくに 令和7年4月号
明治日本の産業革命遺産
~かま石~
8県11市にまたがる8エリア23資産からなる「明治日本の産業革命遺産製鉄・製鋼、造船、石炭産業」から、エリア4「かま石」を紹介します。
23資産の内、最北に位置するのが、岩手県かま石市にある「橋野鉄鉱山」です。産業分野としては「製鉄・製鋼」に、時期としては1850年代の「試行錯誤の挑戦」に該当します。
日本では、古来より砂鉄を原料とした「たたら製鉄」が盛んに行われていました。韮山反射炉で鉄製大砲鋳造に使われたのも、はじめは山陰地方で作られた「たたら製鉄」による銑鉄(せんてつ)(鋳物鉄)でした。しかし、鉄製大砲を数多く鋳造するためには、より柔軟な質の鉄を効率的に生産する必要がありました。
そのために求められたのが、鉄鉱石から銑鉄を生産する「高炉」です。水戸藩の那珂湊(なかみなと)反射炉の建設に携わったことでも知られる盛岡藩士出身の大島高任(おおしまたかとう)は、安政4(1857)年、日本最大の鉄鉱石の鉱床がある現在のかま石市の山間部に高炉を建設します。韮山反射炉と同様、オランダ語の技術書のみを頼りに作られたこの高炉により、大島は鉄鉱石からの銑鉄の連続生産に成功したのです。
たたら製鉄と違い、炉を壊すことなく連続して銑鉄を生産できる高炉の存在は、まさに近代製鉄への第一歩でした。現在、橋野鉄鉱山には幕末期に建設された3基の高炉がある高炉場跡だけでなく、鉄鉱石の採掘場や運搬路跡が残っており、一連の工程が世界遺産の構成資産となっています。
なお、万延元(1860)年に韮山反射炉で鋳造された18ポンドカノン砲には、まさにかま石で生産された銑鉄が材料として使用されています。「製鉄・製鋼」分野の資産というだけでなく、かま石と韮山には、操業当時から深いつながりがあったと言えるでしょう。
※「かま石」の「かま」は環境依存文字のため、かなに置き換えています。正式表記は本紙をご覧ください。
問合せ:文化財課
【電話】055-948-1428