- 発行日 :
- 自治体名 : 愛知県瀬戸市
- 広報紙名 : 広報せと 令和7年5月号
「せとでん」の愛称で親しまれている名鉄瀬戸線。今年は瀬戸~矢田間が明治38年(1905)に開通してから120年の節目になります。
■「せとでん」の歴史
瀬戸自動鉄道が明治35年(1902)に設立したことに始まり、瀬戸~矢田間が明治38年(1905)に開通し、翌明治39年(1906)に矢田~大曽根間が開通。同年瀬戸~大曽根間を蒸気動車による運行から電化し、「瀬戸電気鉄道株式会社」と改称、「せとでん」が誕生しました。
明治40年(1907)に名古屋港が開港。瀬戸から大量のせとものを鉄道から堀川運河を通って名古屋港へ運搬するため、明治44年(1911)に大曽根~堀川間が開通し、瀬戸の窯業産業発展に大きく貢献しました。堀川までの路線は名古屋城の外堀内を走るいわゆる「外壕線(そとぼり)」でした。
昭和14年(1939)に瀬戸電気鉄道株式会社は名古屋鉄道株式会社と合併し、名鉄瀬戸線となりました。
高度経済成長期に入ると、陶磁器の運搬はトラックが主流となり、外壕線は当初のせとものなどの貨物運搬の役目を終えつつありました。栄町駅乗入れの検討とともに外壕線の廃止計画も進められていきます。
昭和51年(1976)に惜しまれつつ外壕線は廃止、昭和53年(1978)に待望の栄町乗入れが実現しました。
現在は通勤・通学電車として人々の生活に欠かせない存在となっています。
◇セルポレー式蒸気動車
明治38年(1905)頃
瀬戸自動鉄道株式会社が最初に運行した蒸気動車。瀬戸~矢田間を1時間30分で運行しました。しかし、故障も多く、運行に問題が多かったため、約1年で「瀬戸電気鉄道株式会社」に社名変更し、電車の運行を開始しました。
◇モ750形
昭和40年(1965)から53年(1978)まで瀬戸線で運行しました。「せとでん」のイメージを代表するこの車両は、緑の車体、手動扉など当時の面影そのままに復元され、現在は瀬戸蔵ミュージアムでみることができます。
◇6600系
瀬戸電気鉄道株式会社が昭和14年(1939)に名古屋鉄道株式会社と合併し名鉄瀬戸線となって以降、初めての新車。昭和53年(1978)の栄町乗入れにあわせて導入された車両です。
◇4000系(左)(本紙PDF版5ページ参照)
平成20年(2008)に瀬戸線専用の新型車両として誕生しました。それまでの赤い車体とは異なり、ステンレス無塗装、近代的な設備、性能を備えた瀬戸線でしか見られない車両です。
「赤い電車最終運行」
平成26年(2014)4月6日、赤い電車の別れ運転。長年「せとでん」の顔として活躍してきた「赤い電車」が多くの人に見送られ、瀬戸線を引退しました。