くらし 教育の広場

■広島研修
◆今ある幸せを守り続けるために
弥富中学校 藤田琉之介(ふじたりゅうのすけ)

【平和記念資料館を訪れて】
私は、平和記念資料館で、人々の苦しみを知った。被爆当時の様子を描いた絵を見ると、原型がない人の姿や絵全体が真っ赤に染められているものが多くあって、見ているだけでつらくなった。写真や絵を残した人はどんな気持ちだったのだろうか、と考えた。日常の風景を一瞬で地獄へと変えた原爆を言葉にできないほど憎んでいただろう。だから、写真や絵を残したのか、あるいはそんな余裕はなかったかもしれないが、こうやって資料を見ること知ることができる私たちが、世界での原爆の被害をこれ以上増やさせないようにすることが大切だと思った。

【平和記念公園を訪れて】
私は平和記念公園レストハウスで野村英三さんの話を知って、とても恐ろしく思った。爆発の音が聞こえて地下室から出ると、建物は崩れみんないなくなっていた。その状況を想像するだけで心が苦しくなった。

【被爆ピアノを聴いて】
私は、被爆ピアノの演奏を聴いて、とても胸が痛くなった。原爆はピアノを破壊するだけでなく、演奏者まで消してしまった。そのピアノが奏でる音はとてもきれいで、「もう戦争なんてするな」と語りかけてくるようだった。

【これから私が平和のためにできること】
私は、原爆や戦争について学んだことを、いろいろな人に伝えたいと思った。終戦からもうすぐで80年経って、戦争の実体験を語れる人はもう多くはいない。だからこそ、資料を見て、話を聞いた私たちが広め、後世に伝えていくことが大切だと思った。

【学習を終えて】
私は、広島研修に行って、今の暮らしの平和さについて知った。たった80年前は日本でも戦争していて、食べるものも日用品もほとんどなく、いつ誰が死んでもおかしくなかった。当時の人はそんな恐怖を抱えながら生きていただろう。だからこそ、毎日ご飯を食べることができ、安全に送れる日々を大切にしようと思った。

◆広島が教えてくれたこと
弥富中学校 加藤結凪(かとうゆな)

【平和記念資料館を訪れて】
私は、平和記念資料館で原爆によって失ったものを見てきた。私が思っているより現実的で悲惨な光景だった。展示してあったものを見ていると黒焦げになった弁当箱や、大きく名前の書かれた洋服があった。そこから、今とは変わらない子どもへの愛を感じた。大きくなってほしいという気持ちや元気に生きてほしいという気持ちは形が違っても、その時代でも変わらずあったことに感動したが、それを奪われたと思うと悲しい気持ちになった。だから、今ある幸せを大事にしたいと思った。

【折り鶴献納を行って】
原爆によって亡くなってしまった禎子さんたちのために、たくさんの人たちが、たくさんの時間とお金をかけてつくった原爆の子の像は、人を思い合う気持ちを感じて素敵だと思った。

【平和記念公園を訪れて】
お話の中で、今でも見つかっていない人がいることを知った。考えてみると、誰の物か分からなくなるぐらい強い威力だったからだと分かった。当時だと自分もつらい中で、生きているか死んでいるか分からない人を探すのは苦しいと思った。

【これから私が平和のためにできること】
今、戦争をしている国があり昔のことではないと感じた。同じことを繰り返さないために、これからもたくさんの人に原爆の恐ろしさを伝えることが大事だと思った。今戦争をしている国は、それをしたくてもできないから、私たちがする必要がある。家族や友達、周りの人に正しく伝えていくことが、私たちができることの一つだと思う。

【学習を終えて】
今の生活は、戦争や原爆を感じることはなく現実的ではないと思っていたけれど、話を聞いたり、展示してあるものを見たりしていると、だんだん「本当にあったこと」と思うようになり悲しくなっていた。何もかも奪っていった原爆の恐ろしさがよく分かった広島研修になったと思う。これからは、命を大切にする心を忘れないように生きていきたい。