文化 壷中雑記(39)一歴史文化博物館から一江戸時代の仏心寺開帳

1.開帳とは?
江戸時代(1603~1868)、各地の名所や名物、さらに各地の寺社へ参詣が盛んとなりました。そのため江戸時代には現在のガイドブックと同様の案内図が製作・販売されました。
開帳とは、公開していない秘仏や本尊を、一定の期間見ることができ、参詣者に結縁する機会を与えることです。その後、開帳は寺院の境内で見世物興行が行われるなど、本来の意味とは異なっていきました。また、寺院側も、開帳で多額の賽銭や祈祷料により、寺院への経済的な役割になりました。

2.仏心寺の場合
愛荘町岩倉の仏心寺は、天正4年(1576)、慶長13年(1608)、寛永17年(1640)、寛文12年(1672)、天明元年(1781)、寛政7年(1795)、文化2年(1805)の7回開帳が行われました。その中でも、寛政7年の記録には開帳の準備段階からの記録が残されていました。その概略を紹介します。

3.寬政7年開帳
本史料は、1枚の紙で書かれていますが、上部が破損し、全文が読むことができません。しかし、大まかではありますが、内容を把握することができます。また、本史料のタイトルは「地蔵山金臺寺矢取地蔵開帳覚書」であり、仏心寺は以前金寺というお寺であり、これは「矢取地蔵縁起絵巻」という資料からも確認ができます。

4.開帳計画開始
寛政7年5月27日の夜に、仏心寺の開帳計画が始まります。6月5日に庄屋の源六と長兵衛の二人が、愛荘町の藩元である彦根に行き、開帳を行っていいか許可を伺います。この時代、催事などを行うにしても藩の許可が必要になります。
6月18日の夜には、10歳以上の年齢から、果ては仏門に入った人まで男性を集め、開帳への協力を要請します。その際に集まった男性に出されたものは「吸物・豆腐・酒」になります。また、庄屋・横目には寄附をお願いしています。
その後、開帳に当たっての品々のリストが記載され、開帳初日には百済寺の僧侶が扉を開く役割や開帳の際の各村の役割が記載されて、この史料での開帳記録は終わっています。
本史料は、令和7年9月27日より開催されています秋季特別展にて展示されています。詳しい内容については展覧会にて説明を行います。

■博物館展覧会開催中 令和7年9月27日(土)から12月7日(日)まで
展覽会:名百発百中!?仏心寺の仏様
会場:歷史文化博物館企画展示室
開館時間:午前10時から午後5時まで(最終受付は午後4時30分)
休館日:月曜日・火曜日(ただし祝日の場合は開館)、祝日の翌日
※11月は全日開館
※10月8日(水)・14日(火)・15日(水)・20日(月)・21日(火)・28日(火)~31日(金)
展示解説:10月5日(日)、10月26日(日)、11月16日(日)、11月30日(日)午前11時~、午後2時~
入館料:大人300円、子ども150円(町内在住者の方は無料)