- 発行日 :
- 自治体名 : 京都府福知山市
- 広報紙名 : 広報ふくちやま 2025年4月号
■「福知山城郭模型」
福知山城天守閣所蔵
福知山城天守閣1階では、写真(1)(本紙参照)の福知山城郭模型を常設展示しています。
この模型は17世紀半ば前後に描かれた絵図に基づき縮尺500分の1の大きさで製作されたものです。残念ながら天守などの建物はその位置を示すだけとなっていますが、城全体の設計を示す縄張りをはじめ、石垣、堀、庭園などが再現されており、当時の福知山城の姿がよく表されています。
丘陵と平地を利用して築かれた福知山城は、東に流れる法川を堀と見立て、北は京町南側道路を境とし、西は惇明小学校手前、南は岡ノ一町付近までがおおよその範囲となります。そして、南陵中学校から由良川に向かって北東に伸びる丘陵上に東から天守がある本丸、二ノ丸、伯耆丸、内記丸と続き、丘陵麓の北側には対面所、左門丸、重臣達の屋敷があった丸の内、大膳丸がありました。これらの曲輪(くるわ)名は有馬豊氏が藩主であった時代の兄弟及び重臣達である有馬伯耆・有馬左門・有馬内記・有馬大膳の名から取ったものと考えられています。また、丘陵麓南側には御泉水(ごせんすい)と呼ばれる庭園、馬屋、鷹部屋、蔵屋敷などがあり、JR福知山線の高架工事に伴い平成11年に実施された発掘調査では、地表下約2・2〜2・5mの深さから庭園跡の一部が確認されました。
明治以降、天守をはじめとする建物がなくなり、二ノ丸が削られ、堀が埋め立てられて市街化が進んだ現在では、地表上で確認できる福知山城の遺構は天守のある本丸及び石垣、市役所南側の伯耆丸と内記丸の一部、銅門番所と移築された城門のみであり、展示している本模型はかつての福知山城の全体像とその姿を立体的に知ることができる貴重な資料です。
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