くらし 【クローズアップ2】よみがえる 伝統の火見櫓(ひのみやぐら)(2)

■教えて!火見櫓のこと
高槻城公園北エリア大手地区にできる火見櫓。いったい何のためのどんな建物だったのでしょうか?火見櫓の実像に迫る古写真を見つけた、しろあと歴史館の千田館長に聞きました。

千田康治さん
しろあと歴史館の館長。美術・工芸品のスペシャリスト。高槻城やその城下町の研究にも取り組んでいます

Q 何がすごい発見だったの?
A 長らく詳細や所蔵先が不明だったものが明らかに
私が見つけたのは、明治時代初めの古写真です。長らく詳細が不明でしたが、令和5年に高槻小学校創立150周年記念展示のため調査した際に、同校で写真を発見し判明しました。手前の白壁の建物が当時の高槻小学校です。火見櫓再現への重要な資料となりました。
※詳しくは本紙をご覧ください。

Q 火見櫓は城下町のどこにあったの?
A 現在の上本町です
火見櫓は、江戸時代の本町(現在の上本町)にあった町会所(まちかいしょ)という建物の上に設けられていました。城下町の中で特徴ある建物で、上の古写真で実像が判明しました。
高槻城下町は本町・魚屋町など11の町で構成。町会所は、町の行政を担い、町の運営のための会議を開く場所でした。

「火見櫓のあった町会所は、町の自治に不可欠な施設。たくさんの人々に利用されていました」

Q 火見櫓はどんな建物だったの?
A 町会所とセット、他に類を見ないつくり
火見櫓は、上から町を見渡し、火事を見つけたら備え付けの半鐘(小型の鐘)を打ち鳴らして、町の人々に知らせました。
町会所の上の火見櫓は、重量軽減のためか木組み(はしご)だけの吹きさらしのものが多く、高槻のように四方を板張りにした本格的な造りは珍しいものでした。町を見守る堅固な火見櫓は、人々に安心感を抱かせたことでしょう。

「しろあと歴史館では高槻城や城下町の歴史を展示しています。ぜひご家族や友人と遊びに来てください」

Q 現代に再現するとどんなものになるの?
A 高槻城下町へと誘うランドマークへ
住民の安全を担い、町を火災から守った火見櫓は、城下町の人々にとって象徴的な存在であったと考えられます。
城下町の人々を見守っていた火見櫓が、新たに復活して城下町を訪れる人々を迎え入れるランドマークとなり、親しまれることを期待しています。皆さんもぜひ楽しみにしてください。

・櫓の上には、かつて市内で使われたと伝わる半鐘を設置する予定です。町会所の内部は、歴史ガイダンスとして活用することを計画しています

問合せ:歴史にぎわい推進課
【電話】674-7393