- 発行日 :
- 自治体名 : 大阪府高槻市
- 広報紙名 : 広報たかつき(たかつきDAYS) 令和7年7月号 No.1448
■小学4年生で入った合唱団は、代々続いていく家族のよう。
ー今日は、高槻市少年少女合唱団の定期演奏会の練習を拝見しましたが、田邉さんたちが指導する中、本番が迫っているということもあり、みなさんとても熱心に歌っておられました。田邉さんの指導歴は長いのですか?
▽「そうですね。イタリア留学から帰ってきてからは、ヴォイストレーナーとして正式に携わるようになりました。かれこれ20年ぐらいですね」
ーそれはずいぶん長く携わっていらっしゃいますね。ご自身も合唱団の出身ですよね?
▽「はい。小学4年生から高校卒業までお世話になりました。以前は、外国の少年少女合唱団の演奏会が毎年高槻であり、賛助出演する子どもたちの募集をしていたんですよ。私は歌が好きだったので、募集チラシを見た母に勧められ、応募しました。その指導をしていた国久昌弘先生がそのまま合唱団を発足し、のちに高槻市少年少女合唱団となり、その合唱団で高校卒業までは団員として、大学、大学院時代はOGとして活動していました」
ー合唱団に入る前から歌はお好きだったんですか?
▽「はい。子どもの頃は保育園で習った歌を、こたつを舞台にして毎日披露していました(笑)」
ー練習を見ていても思いましたが、みんなで一緒に合わせた歌声は、なにかうっとりしてしまう陶酔感のようなものがありました。
▽「ハーモニーの美しさを体感できるのは、合唱の醍醐味だと思います。国久先生が私のことを小学4年生の頃から知っているように、子どもたちが成長し、成人となり親となるまでの姿を私も見ていて、代々続いていく感じはありますね。家族みたいで、とても居心地がいいです」
■言葉の背景にある文化を学びにイタリアの国立音楽院に留学。
ー合唱や歌に親しんだ10代を経て、田邉さんはその後プロの声楽家への道を歩まれます。これは何かきっかけがあったのでしょうか?
▽「大学生までは、歌が好きで上達したいという自分の表現のためにひたすら練習してきました。でも、大学の卒業演奏を聞いたある方から、『あなたの歌を聞いて、元気をもらった』とお声をかけてもらったんです。え!私の歌にそんな力があるのか、誰かの心に響くこともあるのかと、その時初めて気づきました。そういう方がいてくれるかぎりは、歌い続けようと強く決心したのを覚えています」
ーそんな思いを持って、大学院卒業後は、イタリア・パルマ市にある音楽院に留学されます。イタリアへ行きたいと思われたのは理由があるのですか?
▽「大学院ではオペラ研究室で勉強していました。私はイタリアのオペラがすごく好きなんですが、イタリア語で表現しなければならないのに、辞書で調べた言葉や意味以上の表現を実感できてないと思ったんです。だから、その言葉が話されている国の文化や風習に触れることでわかるんじゃないか、その国に飛び込みたいと、イタリア留学を目指しました」
ー表現をするのに、言葉は大切ですよね。イタリア語はすぐ習得できましたか?
▽「学生の頃から6年間習っていましたが、現地ではやはり苦労しましたね(笑)。5年間でもまだ完璧ではないですけど」
ーどちらの音楽院に留学されていたんですか?
▽「声楽でとても有名なアッリーゴ・ボーイト国立音楽院です。パルマは作曲家のジュゼッペ・ヴェルディが生まれた街でもありますし、オペラ文化が浸透した街。3年は音楽院で学び、残り2年はコンクールを受けたり、劇場で歌わせてもらったりしました」
ーそれはすごいです。そのままイタリアで歌い続けるということは考えられなかったのですか?
▽「それも考えたんですけど、やはり日本でも歌いたいという思いもあったので。5年間で学びたいと思っていたことはある程度できましたし、日本での活動に転換しました」