文化 市史だより Vol.314

■市史紀要第36集『谷山池―槙尾川関係史料集I[絵図編]』刊行
地域の宝を未来へ伝えるために
谷山池と槙尾川用水に関わる絵図資料を収集した市史紀要第36集を刊行しました。色彩豊かに描かれた絵図の数かずをご覧ください。

物価の高騰、とりわけ、主食であるコメ価格の上昇は、私たちの日常生活に大きな影響を与えています。
和泉における主要な生業は、長い間農業で、その中心は米作りでした。水稲(すいとう)には豊かな水が必要ですが、瀬戸内海気候の和泉では、雨も少ないため、先人たちは、水を確保するために多くの力を注ぎました。その一つが、近年、数を減らした溜池(ためいけ)です。高度経済成長以前の航空写真を眺めると、実に多くの溜池が市域の農業を支えていたことを知ることができます。
市域のうち、池田下から府中、池上、和気などに至る平野部の農業を支えたのは、谷山池と槙尾川でした。谷山池は、槙尾川を水路のように用いる六つの用水組合によって運営されてきました。六つの用水組合とは、かうかうず井(府中・黒鳥)、桑畑井(府中)、東風川(こちかわ)井(桑原)、久保津戸(つと)井(和気・今福・寺門・観音寺)、太田井(阪本・芦部)、一之井(池田下)です。谷山池用水の動向は、それを用いることのできない地域にも影響を与え、その範囲は、池上や肥子だけでなく、泉大津市域にも及ぶものでした。
先人たちは、ときには、水の利用方法をめぐって衝突し、江戸幕府の裁定(さいてい)を仰(あお)ぐこともありました。裁定書には、表側に池や川、水路や井堰(いぜき)の様子を色彩豊かに描き込み、水の利用方法と争点を示しました。また、大雨などの被害を受けた際には、破損した箇所を修復するため、絵図に描いて領主に報告しました。文字情報だけでは伝わりづらい実態を、絵図に描いて示したのです。
今回の紀要では、こうした水の利用環境が知れる絵図・地図26点(参考絵図を含む)をカラー写真にして採録しました。写真の後ろには、白黒写真を掲載し、くずし字を翻刻(ほんこく)し、書いてある内容がわかるように配置しました。
掲載した絵図は、すべて、旧家に残されたもので、庄屋や年寄といった村役人を務めたり、水利役人を務めた家に伝わった貴重な古文書です。水の権利を保障する貴重な証拠文書として、長らく大切に保管されてきました。
たとえば、江戸時代の裁許絵図は、明治の裁判の際に証拠書類として提出されました。昭和の水争いに際しても、裁許絵図に記された裁許書の内容を前提にした取り決めがなされました。自分たちの地域の水を確保するためには、こうした古文書を大切に保管しておくことが必須でした。
絵図は大きいもので、幅が二メートル近くもあり、広げるだけでも一苦労します。広げて閲覧する度に、摩耗(まもう)し、あるいは破損する危険が常に付きまといます。本紀要の刊行によって、貴重な文化財を守り、地域の宝として後世の人びとに伝えるための一助となるはずです。

問合せ:市史編さん室(いずみの国歴史館内)
【電話】53・0802