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- 自治体名 : 和歌山県高野町
- 広報紙名 : 広報高野 令和7年11月号
苅萱堂は、苅萱道心と石童丸の親子の悲話の「石童丸物語」にゆかりの仏堂としてよく知られており、建物内部には物語の絵解きのため、苅萱親子の悲話の彫刻画が並べ掛けられています。苅萱堂は石童丸物語に関する仏堂であるだけでなく、その他に高野山において重要な役割をもつ仏堂でもあります。
現在の苅萱堂の建物は、昭和元年(1926)の建設で内部構造は極めて複雑です。建物に入ると入口西側面には法燈国師を祀る礼堂部があり、正面に引導地蔵を祀る内陣を設けた引導地蔵堂部、その周囲を石童丸物語の絵解き彫刻画がかけられる回廊が設けられ、回廊を進んだ先には苅萱親子である親子地蔵尊を祀る内陣を設けた親子地蔵堂部があります。礼堂と引導地蔵堂、回廊を含めた親子地蔵堂の3つの建造物が一つにまとめられた複合仏堂となっています。なお、引導地蔵は、高野山で弔事の際、火葬の前に棺をこの地蔵尊の前に一旦止める習わしのある重要な地蔵尊になります。
古絵図などをみると、現在、苅萱堂が置かれているあたりに「延命寺」や「引導地蔵」と記され、やや南に上ったところに「萱堂」が描かれています。『紀伊続風土記』によると、萱堂は苅萱道心円空と円空の子の石堂麿が入門した寺院であり、法燈国師により後深草上皇の勅願所となった寺院でもあります。苅萱堂は、万延元年(1860)の創建と伝わることから、萱堂に伝わった苅萱道心の伝承、萱堂に関わりのある法燈国師を引導地蔵のある延命寺にまとめ、現在の苅萱堂が成立したと思われます。
苅萱堂は、苅萱親子の石童丸物語を伝えるのみでなく、後深草上皇勅願所である萱堂の歴史、高野山の葬儀での重要や役割を併せ持つ重要な仏堂であり、令和6年12月に国の登録有形文化財に登録されました。
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