文化 史歴の山津 あ・ら・か・る・と

■古写真に残る城下町「紺屋町大溝」
かつて、津山城下町には「大溝」と呼ばれる大規模な排水路がいくつかあり、その管理は城下町に住む町人が担っていました。その「大溝」のひとつ、城下町の中心部にあった「紺屋町大溝」は武家地である田町と町人地である細工町、下紺屋町の間の東西を流れていました。この大溝の北、田町側から見た昭和初期の写真(1)と、南の下紺屋町側から見た大正時代の写真(2)です。
田町側から見た写真には右手に長屋門が写っており、武家屋敷地らしい雰囲気があります。古い津山の姿をとどめた一枚ですが、長屋門の奥には商店らしき看板が見え、武家屋敷地の景観が崩れ始めている様子がうかがえます。
下紺屋町側から見た写真には町家が写っています。側溝から主屋の壁が立ち上がり、道路に面した窓には出格子が設けられています。また、2階部分には袖壁が見られるなど、津山の町家の特徴がよく出ています。溝には石橋が架かっており、溝沿いの柳と町家の景観とが相まって、えも言われぬ風情を醸し出しています。
さて、大溝は現在は暗渠(きょ)(地下に埋設された水路)になっていますが、『広報つやま』昭和39年8月号に「昔なつかしい津山のおも影をのこす一風景」として「紺屋町大溝」が紹介されており、このころにはまだ溝のままだったことが分かります。ところが昭和47年の国土地理院撮影の航空写真では溝を確認できません。このことから昭和39年~47年の間に暗渠になったことが分かります。
古い写真には今では失われてしまった風景が残っています。写真とは撮影した瞬間の記録というだけではなく、写った場所の歴史をも物語るものであるといえるでしょう。
※写真は本紙をご確認ください。

問合せ:津山郷土博物館(山下)
【電話】22-4567