文化 丹下健三建築の紹介(1)

■IMABARI 瀬戸内の世界都市「5つの魅力」
[1]海運・造船・舶用工業が集積する日本最大の海事都市
[2]高品質で世界を魅了する今治タオル
[3]海と島をつなぐ絶景のしまなみ海道
[4]丹下健三氏など著名建築家による建築群(check!)
[5]地域と共に挑戦を続けるFC今治

今治が誇る「5つの魅力」をシリーズで紹介しています。今回のテーマは、著名な建築家たちによる建築群です。丹下健三氏に加え、伊東豊雄氏や原広司氏、隈研吾氏など、世界的に活躍する建築家が設計した建物が、今治のまちのあちこちに息づいています。すぐそばにある建築の魅力。今、あらためて感じてみませんか。

◇なぜ世界のタンゲと呼ばれているのか
「世界のタンゲ」と称される建築家・丹下健三氏は、幼少期の約10年間を今治で過ごしました。広島平和記念公園や国立代々木競技場、大阪万博の会場設計などを手がけ、日本を代表する建築家としての地位を築きました。
1958年、当時の今治市長で幼なじみだった田坂敬三郎氏の三顧の礼に応じ、市庁舎、市公会堂、市民会館を設計。今治港から一直線に伸びる広小路を都市軸に据え、“建築を単体でみるのではなく、都市の機能や風景の一部として考える”という理念を今治のまちで表現しました。
日本の伝統とモダニズムを融合させた建築は、世界的にも高く評価され、1987年には日本人として初のプリツカー建築賞(建築界のノーベル賞)を受賞。磯崎新、黒川紀章、槇文彦といった多くの世界的建築家も丹下氏のもとから育ちました。
今治市内には、1950年代から90年代にかけての丹下作品がまとまって現存しており、その変遷を一都市でたどることができる、世界でも唯一の場所です。今治市では、その功績を顕彰し、現代のまちづくりに活用する取り組みを続けています。今回開催される「世界のTANGE」特別展は、改めて丹下建築の魅力と、都市をデザインする理念を、国内外に発信する絶好の機会となります。

丹下 健三
Tange Kenzo
[1913~2005]
丹下健三(今治市名誉市民)は、1964年東京オリンピックの代々木競技場の設計や1970年大阪万博の成功などにより“世界のTANGE”と称されました。
1913 大阪府に生まれる。
1920 上海から今治に帰郷。約10年間を今治で過ごす。
1938 東京帝国大学工学部建築学科を卒業。ル・コルビュジェに傾倒し、その教え子である前川國男の建築事務所に入る。
1941 東京帝国大学大学院に入学し、卒業後、1946年から1974年まで母校で教鞭をとり、「丹下研究室」を主宰。浅田孝、大谷幸夫、沖種郎、神谷宏治、槇文彦、磯崎新、黒川紀章、谷口吉生ら多くの優れた人材を育成する。
1949 広島市主催平和記念公園・記念館のコンペで1等入選。
1951 CIAM(近代建築国際会議)に招かれ、広島の計画案を発表、海外の建築界にデビューする。
1958 香川県庁舎・今治市庁舎・今治市公会堂
1960 愛媛信用金庫今治支店(旧今治信用金庫本店)
1961 「東京計画1960」を提案する。丹下健三+都市・建築設計研究所を開設。
1964 国立屋内総合競技場・東京カテドラル聖マリア大聖堂
1965 今治市民会館
1967 愛媛信用金庫常盤町支店(旧今治信用金庫常盤町支店)
1970 日本万国博覧会・会場マスタープランの設計。
1972 今治市庁舎第一別館
1984 徳冨蘆花文学碑
1985 今治地域地場産業振興センター・今治商工会議所、愛媛県県民文化会館
1986 新都庁舎の設計。「東京計画1986」を発表。
1994 今治市庁舎第二別館
1996 フジテレビ本社ビルが完成する。
2005 3月没。