- 発行日 :
- 自治体名 : 愛媛県大洲市
- 広報紙名 : 広報おおず 2025年4月号
今回は、われわれが肱川とどのように向き合いながら生活してきたのか、その痕跡や活動をたどりながら紹介します。
■残る洪水対策の痕跡
2024年12月号(Vol.6)でも紹介したように、肱川流域に住む人びとは、繰り返す水害への対策に知恵を絞る必要がありました。江戸時代になると、河の流勢を減らすための「ナゲ」を設置したり、洪水時に流木などの流下物が生活圏に流れ込まないように水防林を整備するなど、少しでも洪水被害を軽減しようとした試みがみられます。
また、洪水後でも田畑の境界がわかるよう「境木(さかいぎ)」が植えられるなど、洪水の善後策も講じられています。こうした痕跡は、今も肱川沿いの各所に残されています。
一方、肱川が見せるのは決して乱暴な表情だけではありません。
前号(vol.9)でも紹介された鮎の「瀬張り漁」は、江戸時代から受け継がれた伝統的な漁法です。晩夏から初秋にかけ、いたるところで瀬張りが仕掛けられている光景は、肱川の風物詩となっています。こうして漁獲された鮎は長期間保存できるよう加工され、江戸時代には将軍家にも献上されるほどの逸品でした。現在も「焼鮎」として伝統的な製造が続けられており、肱川の恵みを堪能できます。
■川が育む文化
肱川を舞台とする行事も多くあります。
かつて8月に二日続けて開催された花火大会は、肱北地区の弁財天と住吉神社でおこなわれた祭りを発祥とするもので、本来は舟運などの安全祈願のために始められたものでした。慶応2(1866)年の絵図には、肱川に屋形船が繰り出し、多くの見物客で賑わうなかで花火が打ち上げられている様子が描かれています。
また、古式泳法の「主馬(しゅめ)神伝流泳法」(愛媛県指定無形文化財)は、肱川の流れのなかで編み出され、洗練されてきた泳法ですが、その伝統を支え受け継ぐように、毎年冬には寒中水泳大会、夏には全国的にも珍しい川での水泳学校が催されています。
肱川流域に住む我々にとっては、もはや当たり前の光景かもしれませんが、いずれも肱川がもたらした「文化」と呼べるものであり、大切に継承したいものです。