文化 The Strawberry Schooner

■ジョンソン アンドリュー・ブレイディ
偶然五月連想

5月は変化にとって良い月だと思います。季節は夏に向かい、アメリカの学校では学年度(通常9月第1週から6月第1週まで)が終わりに近づき、学生たちが卒業を意識し始める時期でもあります。
5月(May)といえば、アメリカに入植者をもたらした帆船の中で最も有名なメイフラワー号を思い出します。1620年にヨーロッパから出航したメイフラワー号は、102人のピルグリム(巡礼始祖)を乗せていました。その年の秋、マサチューセッツ州プリマス・ロックに到着したメイフラワー号のピルグリム達は、アメリカの歴史において特別な存在になりました。理由は三つあります。一つ目は、ヨーロッパの宗教環境が分断され、迫害の中で、ピルグリム達は、長く危険な旅と深く不確かな未来を危険にさらしながら、信教の自由を追求したからです。二つ目は、彼らの指導者(ウィリアム・ブラッドフォード)は多作な作家であり、植民地生活に関する彼の体験談は、この時代の理解に大いに役立っているからです。そして三つ目は、1621年、ピルグリム達は、収穫とネイティブ・アメリカン(先住民)との協力の成功を祝って、アメリカの主要な伝統となった「感謝祭」を初めて行ったからです。
メイフラワー号は、その名前に「メイ」が入っていることから、5月に関係しています。しかし、5月に起こったもう一つの重要な出来事があります。英語では、鉄道の枕木を下にある砂利などに固定するための犬釘を「スパイク」と呼びます。1869年5月10日、ユタ州プロモントリー・サミットで大陸横断鉄道の完成に伴い、最後の犬釘、ゴールデンスパイクの儀式が行われました。その金色の犬釘の打ち込みとともに、アメリカ史上初めて、大西洋岸から太平洋に面するサンフランシスコまで、北米大陸を完全に鉄道で横断できるようになりました。この発展により、アメリカ大陸を横断する移民と産業発展の新時代が到来しました。大陸横断鉄道とそれに続く鉄道ブームがなければ、アメリカがどのような道を辿り、現在どのような状況にあるのか、想像するのは難しいものです。
メイフラワー号という船が、大西洋岸にヨーロッパ初の植民地を築くのに貢献し、それから約250年後のMay(5月)に大西洋と太平洋がついに繋がったというのは、興味深いことではないでしょうか。こんな歴史的な偶然が他にあるでしょうか?