くらし [令和版]山城作業日記 河後森城(かごもりじょう)からこんにちは -10-

築城の際に行われた普請(ふしん)(土木作業)の種類は、前回解説した切岸(きりぎし)と呼ばれる人工的な崖(がけ)をつくる行為だけではありません。切岸によって城の上下にできた高低差をさらに拡大することで、防御性はさらに向上することになります。
河後森城の城内でも、西第十曲輪(くるわ)(曲輪=平坦部)という地点では、切岸のちょうど真上に土を盛り上げた跡が発掘調査で発見されており、このような盛り土の壁のことを土塁(どるい)と呼んでいます。西第十曲輪の土塁は、底辺約2.2メートル、高さ約0.9メートルの断面台形で、岩盤を階段のように削り出して足がかりをつくり、質の異なる土を交互に盛り上げて築かれていました。また、土塁の設けられた範囲は、曲輪周囲の約65メートルにも及んでおり、膨大な作業量だったことがわかります。
この土塁があることの利点としては、まず敵からの見通しをさえぎる効果が挙げられます。曲輪の下から見上げても切岸の高さに土塁が加わることで、城の中の様子を探ることができません。また逆に城を守る立場からすれば、下方からの攻撃に対して、土塁に隠れて身を守ることができるとともに、城内の様子が判断できない敵に対して土塁の上から不意を突いた弓矢や鉄砲による攻撃を仕掛けることができるのです。