- 発行日 :
- 自治体名 : 福岡県芦屋町
- 広報紙名 : 広報あしや 令和7年10月号
■金屋遺跡と芦屋釜(1)
10月15日(水)より、芦屋歴史の里では特別展「金屋遺跡展」を、芦屋釜の里では開館30周年記念特別展「芦屋釜の美と鋳物師の技」を開催します。開催にあわせて、全3回で金屋遺跡と芦屋釜を紹介します。第1回は、金屋遺跡と出土品です。
◇金屋遺跡とは
金屋遺跡は、芦屋町中ノ浜付近に所在する中世の芦屋鋳物師(いもじ)の工房跡を中心とする遺跡です。「金屋」という地名は、中世の鋳物師が集住したことに由来する地名であり、芦屋町では現在、自治区名としてその名が残っています。金屋遺跡の学術的発掘調査は、平成6(1994)年に始まり、これまでに第5次調査まで行われています。遺跡からは鉄の塊や鋳型(いがた)、鋳造用具、炉壁の一部、こしき炉基底部などが発見されました。これらの出土品は、芦屋釜などの鋳物の製作がこの場所で行われていたことを示す貴重な資料です。芦屋町では、これらの出土品の中から特に重要な「芦屋釜鋳型」と「こしき炉基底部」の2点を「金屋遺跡出土品」として、芦屋町有形文化財に新規指定しました。
◇芦屋釜鋳型
芦屋釜鋳型は、釜づくりのための鋳型の一部です。鋳型をよく見ると、芦屋釜の代表的形である「真形(しんなり)」であり、胴部に霰(あられ)文様が表されていることがわかります。鋳型より推定される芦屋釜の大きさは胴径28cm、羽径30cmです。芦屋町所蔵の重要文化財「芦屋霰地(あられじ)真形釜」が胴径25・2cm羽径27・9cmですから、この鋳型から作られた釜はそれよりも一回り大きな真形釜であったことが分かります。この鋳型が製作された時代は、16世紀初頭から17世紀初頭にかけてと考えられます。
◇こしき炉基底部
こしき炉は釜の原材料である和銑(わずく)を溶かすための筒形の溶解炉のことで、こしき炉基底部は、溶解炉を据えるための土台の部分です。こしき炉基底部の構造は、地面にくぼみを造って粘土を張り、ガラス化したこしき炉の炉体破片(過去に使用した炉壁の破片)を置き、その周囲に平らな自然石を敷いて粘土で固めてできています。操業時には、この基底部の上にこしき炉を構築し、金属を溶解して、鋳物製品を製作します。このこしき炉は芦屋鋳物師が活動した室町時代のもので、工房廃絶とともに、遺棄されたものと考えられています。
次回は、芦屋釜と芦屋鋳物師を紹介します。
(芦屋歴史の里)
