文化 わがまち再発見『文化財のみかた』第16回

■対馬の石塔(2)
~円通寺の石塔から見る佐賀(さが)宗氏3代の繁栄~

今月号は、長崎県指定史跡「対馬円通寺宗家墓地(つしまえんつうじそうけぼち)」の石塔を紹介します。
峰町佐賀にある円通寺は宗氏8代目当主・宗貞盛(そうさだもり)の菩提寺(ぼだいじ)と言われています。室町時代には、宗貞茂(さだしげ)・貞盛・成職(しげもと)の3代(1418~1471年)にわたって、佐賀に島内の政治拠点が置かれていました。いわゆる「佐賀3代」の時代は、前期倭寇(わこう)と呼ばれた集団が活動していた時代です。日本・朝鮮・中国の国境を自由に越えた倭寇の活動は、人・モノ・文化の往来を活発にしました。海外だけではなく、特に当時日本の政治・文化の中心であった畿内地方の文物も、彼らの海域ネットワークによって、対馬を含めた地方へ伝播することとなります。
さて、円通寺の石塔は全てが、石塔の笠の四隅に突起がある宝筐院塔(ほうきょういんとう)という畿内の形式で建塔されています。また、これらの石塔は、福井県大飯郡高浜町日引(おおいぐんたかはまちょうひびき)地区で産出される日引石(ひびきいし)という石材を用いています。つまりこれらの日引石塔は、福井県からはるばる日本海ルートを経て対馬で建塔されたことになります。
加えて、日本各地の有力者が権力の象徴として建塔したと言われている日引石塔が、円通寺には17基も建てられています。それぞれが誰のものかは不明ですが、整然(せいぜん)と並ぶ様子は朝鮮との交易で繁栄した佐賀3代の日本国内における権力を象徴していると言えるでしょう。

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