文化 ながさきピース文化祭2025 壱岐の島History

■河合曾良(かわいそら)
壱岐には、松尾芭蕉(まつおばしょう)の弟子である、河合曾良のお墓があります。
河合曾良は、慶安2年(1649年)、信濃国高島城下の下桑原村(現長野県諏訪市)で生まれました。幼名は与左衛門(よざえもん)。本名は岩波庄右衛門正字(いわなみしょうえもんまさたか)。寛文8年(1668年)頃より、長島藩主松平康尚(まつだいらやすなお)に仕え、河合惣五郎(かわいそうごろう)を名乗りました。
松尾芭蕉(まつおばしょう)の「奥の細道」における奥州・北陸の旅に同行した弟子で、蕉門十哲の一人*とされています。
貞享年間に松尾芭蕉(まつおばしょう)に入門し、同4年(1687年)の「鹿島紀行」、元禄2年(1689年)からの「奥の細道」の旅に同行し、「曾良旅日記」(重要文化財)を残しました。
その後、将軍徳川家宣(とくがわいえのぶ)の命により、宝永6年(1709年)に幕府の巡見使につき従って九州を廻りましたが、翌年の宝永7年5月22日(新暦1710年6月18日)、壱岐国可須村風本(現壱岐市勝本町勝本浦)で巡見の途中に、享年62歳で病没しました。墓所は、勝本町の能満寺にあります。
勝本町の城山公園内の句碑には、「春にわれ 乞食やめても 筑紫かな」と刻まれており、この句は九州への旅立ちの前に江戸で詠まれたもので、諏訪市の正願寺にある石塔にも同じ句が刻まれています。
*諸説あります。

問合せ:ながさきピース文化祭2025 壱岐市実行委員会事務局(壱岐市教育委員会 社会教育課内)
【電話】45-1113