- 発行日 :
- 自治体名 : 宮崎県都城市
- 広報紙名 : 広報都城 令和7年8月号
■島原出軍につき北郷忠直(ただなお)定書
寛永14(1637)年から翌年にかけて、島原半島南部で起きた島原の乱(島原・天草一揆)。島原藩によるキリシタン弾圧や厳しい年貢の取り立てに飢饉(ききん)が重なり、耐えかねた3万7千人の人々が、天草四郎時貞(ときさだ)を首領として原城(はらじょう)跡(長崎県南島原市)に立てこもり、起こした反乱です。幕府は12万もの大軍を送り、半年後にようやく鎮圧しました。
本史料は、島原出陣に際し、都城領主・北郷忠直(久直(ひさなお))の家老衆から、戦を指揮していた津曲兼業(けんぎょう)と古垣忠與(ふるがきただおき)に対して送付した軍令3カ条の定書です。定書には、(1)津曲・古垣からの指示の厳守と忠勤を尽くした者への褒賞、(2)戦場および道中における任務遂行の厳守、(3)合戦時における津曲・古垣からの命令の順守などについて記されています。
この時、北郷軍からは300人の兵が出軍。鉄砲衆も組織しましたが、出水米之津(いずみこめのつ)(鹿児島県出水市)で戦闘の終結を聞き、寛永15(1638)年2月2日に軍を引き返すことになりました。
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