文化 【郷土史への扉】霧島市の鉄道と駅

霧島市には、日豊本線と肥薩線の二つの鉄道路線が通っています。市内を東西に走る日豊本線には、西から隼人駅、国分駅、霧島神宮駅、北永野田駅があります。隼人駅で分岐し北へ向かう肥薩線には、南から日当山駅、表木山駅、中福良駅、嘉例川駅、霧島温泉駅、植村駅、大隅横川駅と並び、市内には現在、合計11カ所の駅があります。
しかし、市内の鉄道や駅は、初めからこの編成だったわけではありません。

■鹿児島線
市内に鉄道が通り、駅が開業したのは120年以上前のこと。明治34(1901)年、県内初の鉄道として鹿児島駅から国分駅を結ぶ鹿児島線が開設されました。この国分駅は現在の隼人駅のことで、当時は駅周辺が西国分村という地名であったため、国分駅という名前がついたのでしょう。
明治36(1903)年に線路が吉松駅まで延び、嘉例川駅・横川駅(現・大隅横川駅)が開業。この時建てられた両駅の駅舎は今も現役で、当時の風情を伝えています。明治42(1909)年に国分と熊本県・八代間が全通すると、福岡県の門司港駅からつながる鹿児島本線に編入されます。しかし、昭和2(1927)年に八代駅から海岸沿いに鹿児島駅へ至る路線ができると、そちらが鹿児島本線となり、これまでの路線は分離され肥薩線になりました。
先日開業した仙厳園駅のように、路線開通後にも駅が整備されていきます。明治41(1908)年には牧園駅(現・霧島温泉駅)が貨物駅として、大正9(1920)年には表木山駅が信号所として開業し、その後旅客の駅としても利用されるようになりました。昭和32(1957)年には植村駅、翌年には中福良駅・日当山駅が新設され、現在ある駅が出そろいました。

■国都西線・東線
昭和4(1929)年、都城方面へ向かう国都西線の駅として、国分村に国分駅が作られると、初代の国分駅は西国分駅と名前を変えます。翌年、地名が隼人町に変わると再度改名され、隼人駅となりました。
昭和6(1931)年には霧島神宮駅が開業。翌年には西都城駅から北永野田駅まで延伸してきた国都東線が霧島神宮駅とつながり、西都城―隼人間が全通、小倉から九州東岸を南下する日豊本線に編入することになりました。この時に、それまで日豊本線であった都城―吉松間が分離され、吉都線に名称変更されています。

■一番新しい路線
市内で一番新しい路線は、志布志―国分をつなぐ大隅線です。大隅方面から海岸沿いに延伸された古江線が国分まで達し大隅線となったのは昭和47(1972)年のことで、市内には東から大廻駅、大隅福山駅、敷根駅、銅田駅、金剛寺駅と続き国分駅までつながりました。待望の開通でしたが、交通手段として徐々に自動車が普及した結果、大隅線は昭和62(1987)年に廃止されました。
人の移動や物流の中心となった鉄道は県内にも多くの路線が作られましたが、交通スタイルの変化に伴って次第に現在の形になっていきました。
人々の暮らしと共に変化してきた地元の鉄道と駅は、今日も人の流れを見守ってくれていることでしょう。
(文責=堀之内)