文化 薩摩スチューデント渡欧160周年記念「れいめいの風」

■「偶然が引き起こした、生麦事件」
薩摩スチューデントが英国へ留学する大きなきっかけとなったのが、生麦事件です。
1862年9月、幕政改革のため江戸を訪れていた島津久光が目的を果たし、京都へ戻る途中、武蔵野国生麦村(現神奈川県横浜市鶴見区生麦)で、横浜の居留地から馬に乗って川崎大師へ向かっていた英国人4人組と遭遇します。日本の風習や言葉を知らなかった英国人一行は、馬に乗ったまま久光の駕籠付近まで近づいてしまい、列を乱してしまいます。これに激怒した薩摩藩士らは、無礼打ちとして斬りかかると、1名は死亡、3名は重傷を負いながらも馬を走らせ逃げ切ります。亡くなったリチャードソンは上海の商人で、観光目的で日本を訪れていました。
実は、この事件は2つの偶然が重なって起こっています。1つ目は、リチャードソンが英国に帰るために乗る予定だった船が故障により出航できず、時間が空いたために観光へ出かけたこと。2つ目は、久光が横浜から船で帰藩するつもりが、幕府からの命令により陸路で帰藩することになったことです。
この事件は大きな国際問題となり、英国側は幕府と薩摩藩に賠償金と犯人の処刑を要求しますが、薩摩藩が要求に応じなかったために薩英戦争に発展します。これによって英国との力の差を痛感した薩摩藩は、講和談判を経て英国と親密な関係を築くと、薩摩スチューデントの英国派遣を実現していくことになります。
現在、リチャードソンが落命した場所には彼の死を偲ぶ事件碑が建っています。

薩摩藩英国留学生記念館 スタッフ 下迫田 樹一
参考文献 ドキュメント生麦事件 生麦事件参考館館長 淺海 武夫
グローバル幕末史 町田 明広

問合せ:薩摩藩英国留学生記念館
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