- 発行日 :
- 自治体名 : 沖縄県南風原町
- 広報紙名 : 広報はえばる 令和7年2月号
■電気の普及から約70年!
戦後の南風原に電気が普及してから、今年で約70年がたちます。私たちが何気なく使っている電気は、戦後を暮らした人達にどのような影響を与えたのでしょうか。今回は、戦後の南風原における電気の普及についてご紹介します。
戦後の沖縄の人々は、石油ランプなどで灯りをとる生活を余儀なくされていました。
そのような中、一九五四年に現在の沖縄電力の前身である「琉球電力公社」が発足し、沖縄各地への電気の供給が始まります。
南風原では、一九五四年から一九五七年にかけて各地に電気が供給され、電灯が使えるようになりました。
電気の普及によって暮らしが便利になり、火事が減ったほか、機織りやミシンなどの内職に、より時間を使うことができるようになりました。
借金をして足踏み式のミシンを購入したという方は、夜中でも作業を続けられたことで借金を早く返すことができた、と電気の普及を喜びました。電灯がついたことで「これで『ニッポン』になった」と喜ぶ声もあったようです。
また、電灯に関してこのような狂歌を詠んだ方もいました。
『アメリカ世になりば 灯りまでぃ変わてぃ タンメハギチブル ゆくん光てぃ』
「アメリカ統治の時代になったら灯りまで変わって、おじいのはげ頭もよけいに光るようになった」という意味の歌です。
電気の影響は暮らしのほかにもあらわれました。元々、喜屋武の綱引きにはテービー(たいまつ)が使われていましたが、一九五五年には消えたことが南風原町史に記載されており、電灯がテービーの代わりになったことが考えられています。
このように、電気の普及は戦後の南風原の生活や伝統行事にも影響を与えました。
ちなみに、一九五〇年には一足先に喜屋武の住民が配電事業を立ち上げ、喜屋武・照屋・本部の一部の家庭に電気が供給されていました。供給は夜の10時までという制約がありましたが、お祝いの日には時まで延長することもあったようです。人々のお祝いにかける気持ちの強さがうかがえます。(玉城)
問合せ:南風原文化センター
【電話】889-7399