- 発行日 :
- 自治体名 : 北海道清水町
- 広報紙名 : 広報Shimizu 2025年11月号
■アイスホッケーを受け継ぐ
氷上に刻まれた誇り
―このまちの冬を熱くする物語―
清水町の冬を語るとき、そこにはいつもアイスホッケーがあります。その情熱をこのまちで長くつないできた人物のひとりが、水津栄次郎さんです―。
清水高校時代、先輩に誘われたのが水津さんとホッケーとの出会いでした。
「当時は屋外リンクで、水撒きからすべて、まちの人たちの力を借りて一緒に作業しました。まちの人たちは、本当に協力的でした」地域が一体となって、ホッケーが少しずつ盛り上がっていったといいます。
水津さんは実業団を経て引退後、平成14年から今春まで清水町アイスホッケー協会長・理事長を務め、同協会のNPO化や大会運営など、まちのホッケーを支え続けてきました。
後進育成にも力を尽くし「ホッケーのために何かしたい」と仲間が言えば、いつも背中を押してきました。「反対したことはないですね。みんなホッケーを愛していますから。清水町では指導者協議会もずっと続いていて、指導の力もみんなで受け継いできました」実業団出身の指導者が多く、指導者同士が力を合わせてきたことも、このまちのホッケーの強みです。
そして、若い世代へは「ホッケーを続けてほしい。続けることで一人一人が何かをつかめると思います。これまで見てきた子どもたちは、みんな良い表情をしていました。その表情を見ると、ホッケーが今も清水町で生き続けているんだなと感じますね」
最後に、『自分にとってホッケーとは何ですか?』と尋ねると、にこやかに笑って答えてくれました。「やっぱり『好き』という言葉が出てきますね。一人ではなく、仲間と一緒にやるスポーツだからこそ、ここまで関わり続けてこられたんだと思います」
好きが原点。
“仲間と一緒だから、続けてこられた”
前 清水町アイスホッケー協会長・理事長
水津 栄次郎(すいつ えいじろう)さん
■アイスホッケーと一緒に育ってきた。
―今度は自分がつないでいく。
清水高校3年生
アイスホッケー部
太田 匠威(おおた しょうい)さん
生まれも育ちも清水町。父と兄姉がアイスホッケーに親しみ、幼い頃からリンクに立つのが当たり前だったという太田匠威さん。
現在は、清水高校アイスホッケー部に入り「御影にいつでも滑れる屋内リンクがあって、切磋琢磨できる仲間もいます。環境と仲間に恵まれ、探求心が尽きません。ずっと追いかけたくなるスポーツ」と話します。
ホッケー部では、技術だけでなく『人間力』が一番成長したそうです。
「地域の方々や家族の支えがあるからこそ、自分たちのホッケーが成り立っているので、試合結果で恩返ししたいという気持ちが強くなりました」
幼い頃から一緒にプレーしてきた宮間健年(同校3年)さんと、これまでを振り返ると「高校3年間ほとんど毎日続けた陸上トレーニングが、厳しい状況になったときの自信につながっています。監督の『運根鈍(うんこんどん)』という言葉を胸に、粘り強くやり抜く姿勢も大切にしてきました」
このまちで先輩たちが築いてきた鍛錬と心が、太田さんや宮間さんのなかにしっかりと根付いています。
卒業後は、一度町を離れる予定で「いずれは戻って家業を継ぎながら、ホッケーの指導に関わりたい」と話します。
「生まれてから、ずっとホッケーと一緒に成長してきました。これからは、その楽しさや清水町のホッケーらしさを、次の世代に伝えていきたいです。僕もホッケーが『大好き』です」
好きな気持ちがつながり、
世代を超えて受け継がれていく。
氷上の軌跡は、
過去と未来を結ぶ希望のライン。
