- 発行日 :
- 自治体名 : 福島県白河市
- 広報紙名 : 広報しらかわ 令和7年1月号
平成10年(1998)8月の記録的な豪雨水害を受けて実施された谷津田川の河川改修工事の際、川岸に近い場所から石組の水路跡が見つかりました。
この水路跡は、水車に伴うものでした。水車は水輪が水を受けて回り、水輪と連動して歯車が回り、杵きねが動きます。この動きを利用した水車による精米や製粉が、江戸時代に普及しました。谷津田川沿岸もまた、江戸時代後半より精米などのために水車が設置されていました。現在は存在していませんが、絵図や発掘調査により、かつては14基の水車が存在したことが確認できます。
その中の1基、しみずや跡は、平成12年(2000)の発掘調査で水路跡が確認され、水路跡を跨(また)ぐように水車小屋が建てられていたことが分かりました(写真1)。発掘調査の成果と文献資料から、水車は明治中期頃から昭和3~4年(1928~29)頃まで稼働していたと考えられ、市内の水車を調査した元白二小教諭の衣山武秀(きぬやまたけひで)氏への聞き取りにより、水車で精米などを行っていたことが確認できました。
市街地を流れる谷津田川には、このように近世以降の生業(なりわい)の様子を示す貴重な遺跡が残されています(写真2)。
※写真は、本紙をご覧ください。
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