- 発行日 :
- 自治体名 : 福島県白河市
- 広報紙名 : 広報しらかわ 令和7年6月号
寄稿 市文化財保護審議会委員 佐川 庄司(さがわ しょうじ)
老中在任中の松平定信(まつだいらさだのぶ)は、江戸詰めであったことから白河に帰藩することはなかったが、老中辞任翌年の寛政6年(1794)に7年ぶりに帰藩した。そして、小峰城二之丸にあった藩主の下屋敷を三之丸に移し、ここに「三郭四園」の作庭を始めている。
江戸築地(つきじ)の「浴恩園(よくおんえん)」と同時並行で白河での本拠となる下屋敷に作庭を始めたのである。以後、参勤交代で帰藩するごとに定信自らが陣頭指揮し、約4年をかけて御殿の造営とともに「南園」「西園」「東園」を持つ池泉回遊式の下屋敷庭園を完成させている。その規模は約1万4千坪と推定され、旧宝酒造工場跡地(郭内(かくない))一帯に所在していた。三之丸下屋敷の四囲(しい)の庭園であったことから三郭四園と名付けられ、南園には和歌や漢詩が詠み込まれた32の名所があった。
三郭四園の作庭にあたっては、自然地形に沿った最小限の造成に心掛け、また二之丸にあった茶室を再利用するなど、みだりに藩の費用を費やさず節約に努めたとされる。
園内では、藩士の武芸訓練や詩歌の会、領民を招いた敬老会なども催されていた。
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