- 発行日 :
- 自治体名 : 茨城県潮来市
- 広報紙名 : 広報いたこ 2025年10月号 Vol.295

最近の調査遺跡から「清水原山(きよみずはらやま)遺跡」
潮来市を含む行方台地には、古代から近世まで多くの遺跡が確認されている。これらの遺跡は、霞ヶ浦沿岸と北浦沿岸の台地縁辺部や台地に樹枝状に入り込んだ支谷を臨む台地上に集中して分布している。潮来市内では、東関東自動車道の建設工事に伴う遺跡の調査が断続的に行われている。今回は、最近調査された遺跡の一つを紹介したい。
清水原山遺跡は、潮来市の北端部に位置し、夜越(よろこし)川の支谷に囲まれた標高約38mの台地中央部から縁辺部にかけて立地している。東関東自動車道水戸線(潮来~鉾田)建設に伴い、遺跡の内容を図や写真で保存するため、茨城県教育財団が平成27年度から28年度の8か月間、調査を行った。調査の結果、縄文時代中期末から後期中頃にかけての遺構が検出された。遺構の内容は、竪穴建物跡11棟、炉跡2か所、地点貝塚跡4か所、土坑156基などである。主な出土遺物は、縄文土器(有孔鍔付(ゆうこうつばつき)土器・深鉢(ふかばち)・鉢(はち)・浅鉢(あさばち)・壺(つぼ)・蓋(ふた))、土師器(はじき)(坏(つき)・甕(かめ))、須恵器(すえき)(坏・高台付坏(こうだいつきつき))、土製品(土器片錘(どきへんすい)・土器片円盤(どきへんえんばん)・耳栓(じせん))、石器(鏃(やじり)・磨製石斧(ませいせきふ)・石皿(いしざら)・磨石(すりいし)・敲石(たたきいし)・楔形(くさびがた)石器)、石製品(石棒(せきぼう))などである。
遺跡の時期の中心は縄文時代中期末葉(約4000年前)で、その時期の遺構は竪穴建物跡8棟、炉跡2か所、地点貝塚4か所、貯蔵穴などの土坑75基である。調査されたのは遺跡の一部で、全体ではかなり大きな集落であったことがうかがえる。地点貝塚とは、竪穴建物や貯蔵穴の廃絶(はいぜつ)後に貝を棄てた跡で、貝はハマグリ、シオフキ、ウミニナ、オキシジミなどが多く、100kgを超す量が出土している。当時の霞ヶ浦は海と繋(つな)がっていた湾であり、縄文時代の人々は時季になると盛んに海岸へ出て、貝などをとっていたことが分かる。出土遺物で注目されるものとしては、動物意匠把手(どうぶついしょうとって)で9点ほど出土している。把手は鳥を象(かたど)ったもので、いずれも内側を向いており、出産に関わる土器とする考えもある。同様の遺物は、栃木県内も含めて那珂川流域の遺跡で確認されており、関連が注目される。
(参考)
『潮来町史』 平成8年3月
『ふるさと牛堀‐人と水の歴史‐』 平成13年3月
茨城県教育財団文化財調査報告第426集『清水原山遺跡』 平成30年3月
潮来市文化財保護審議委員 茂木 悦男
