文化 特集 東山道駅路跡の発掘~古代の高速道路を探して~(2)

■今後の展望
今年度の上侍塚北古墳の発掘調査では、この古墳が間違いなく前
方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)であること、現在見えている大きさよりも本来は前方部を中心に一回り大きかったこと、かつては墳頂に赤々とした壺が供えられていた厳かな姿であったことが分かってきました。こうした調査成果については、来年度のなす風土記の丘湯津上資料館での速報展示で紹介する予定です。また、東山道駅路に関係する古代官衙と推定される佐良土上の原II遺跡(さらどうえのはら2いせき)のさらなる探求や、東山道駅路のさらなる発見を目指した調査も検討しています。引き続き、皆さまのご支援をよろしくお願いします。

▽小松原遺跡調査(R1)と東山道駅路跡推定ライン
令和2年度の調査で東山道駅路跡を発見した小松原遺跡では、前年にも発掘を行って平安時代の竪穴建物跡を確認しています。駅路沿いの集落の、北の端あたりだったようです。

▽小松原遺跡調査状況(R2)
令和2年度の調査では、南北に並走する溝が計4条見つかりました。道路両側の側溝です。道路幅(側溝と側溝の間の距離)は奈良時代にはおおよそ12.5~13.5m、平安時代には10mほどで、現代の片側2車線道路と同等の幅員だったようです。

▽西側側溝と墨書土器
この場所では側溝は断面V字形に掘削されていたようです。写真の下にある丸い物は、側溝の底に伏せておかれた完形品の坏(盛り皿)。外面には「梨本」と墨書されており、何らかの儀式的な行為が行われた可能性も考えられます。

▽佐良土上の原II遺跡で確認された区画溝(R5)
令和3年度から着手したこの遺跡の調査では、一辺110m程の溝に囲まれた方形の区画があったことが分かっています。写真は北辺溝の様子で幅は最大で2.3m、深さ1.1mです。

▽官衙遺跡復元図
古代の役所跡である官衙は、溝や塀に囲まれた方形の区画の中に、庁舎や倉庫群が立ち並んでいました。
佐良土上の原II遺跡は東山道駅路のすぐ近くに設置された官衙のようですが、どのような役割の官衙であったのかは、今後の調査の進展次第で分かってくるかもしれません。

▽宮沢遺跡調査状況(R1)
発掘では、耕作土などの現代の土を重機で取り去った後、人力で調査を行います。中央の黒い四角い土が、那須国造碑が建立された頃の竪穴建物跡が埋まった跡です。

▽高の巣遺跡調査状況(R1)
中央の半分掘られた方形の穴は上・下侍塚古墳が築かれた頃の竪穴建物跡です。真冬の調査は霜柱との闘いでもあります。

▽石田遺跡調査状況(R3)
手前から奥に伸びる黒い土は幅2.3~3.0mの溝の跡です。古墳に供えられる土器が出土しており、古墳を囲む溝(周溝)と考えています。現在では国道294号の東側に侍塚古墳群が残っていますが、地面の下では、西側にも古墳が残っているようです。

▽上侍塚北古墳と上侍塚古墳
2つの前方後方墳は那珂川に臨む高台の縁に並ぶように築かれています。今後の発掘調査で、被葬者や徳川光圀公の足跡が明らかになるかもしれません。

【図3】基盤地図情報(行政界)/栃木県森林資源データ(2021-2022年度計測)/国土数値情報(河川)を下図に作成

問合せ:文化振興課[本]4階
【電話】0287‒23‒3135