- 発行日 :
- 自治体名 : 群馬県前橋市
- 広報紙名 : 広報まえばし 2025年8月1日号
■前橋空襲の記憶を紙芝居で語り継ぐ
前橋空襲の体験や、戦時下に声を上げた人の姿を紙芝居で伝える取り組みが広がっています。紙芝居を通して、過去の記憶を次の世代へとつなぐ人たちに話を聞きました。
《紙芝居だからこそ伝わる戦時下を生きた人の姿》
前橋に平和資料館設立をめざす会
鈴木みどりさん(朝日町)
前橋空襲を体験した原田恒弘さんの実体験を描いた紙芝居『前橋くうしゅうわたしの八月五日』。この紙芝居を企画・制作し、上演している鈴木みどりさんに話を聞きました。
◇この体験を伝えたい
前橋に平和資料館設立をめざす会の活動の中で、原田恒弘さんの著書『ひまわり』と出合った鈴木さん。原田さんの体験談には、そこで生きた人の姿が描かれているといいます。
「空襲の悲惨さだけではなく、防空壕で原田少年を抱いて守ってくれた女性や、上野駅で出会った少年とのエピソードなど、人の姿が描かれています。このことをこどもたちに伝えたいと、会の中で紙芝居の制作を提案しました」
この提案は受け入れられ、主に個人からのカンパにより紙芝居を制作。鈴木さんが文章を作り、絵は元教員で彫刻制作に取り組んでいる宮田さんが担当しました。
◇語り手と聞き手がつくる共有空間
「絵と語りが想像力を刺激し、物語が心に届きます。紙芝居は、絵と声、呼吸と間で作られる、語り手と聞き手の共有空間です」と鈴木さん。生の反応や、その場の空気を感じながら読んでいるといいます。
◇あなたならどうする?――心に問いかける紙芝居
「『あなたならどうする?』『あなたはどう思う』そんな問いかけをこどもたちに届けることが大切だと思います」と鈴木さん。
「こどもたちに伝えるためには、教師にこそ伝えたい。教師が伝えようと思わなければ通り過ぎてしまう」
元教員の鈴木さんは、紙芝居を教育現場で活用してもらうため、市内の小中学校などに寄付。富士見地区の学校では、地元の読み聞かせサークルによって上演されるなど、鈴木さんの思いに共鳴する人たちが、新たな語り部として活動の輪を広げています。
《前橋空襲の翌日、皇居へ向かった女性の物語を紙芝居に》
前橋学市民学芸員
峯岸隆臣さん(駒形町)
「戦争をやめてください」――。今では誰もが当たり前に口にできるこの言葉を、戦時中、それも天皇に直接訴えようとした女性が前橋にいました。彼女の名は奥野とめ子さん。その勇気ある行動を紙芝居にして語り継いでいる、前橋学市民学芸員の峯岸隆臣さんに話を聞きました。
◇きっかけは一通の手紙
奥野とめ子さんの存在は、平成29年に親族の北爪重夫さんから本市に届いた一通の手紙によって明らかになりました。「彼女の行動が忘れ去られないように」と綴られた手紙。峯岸さんは前橋学市民学芸員養成講座でこの話を聞き、強く心を動かされたといいます。
「戦争に反対する声を上げることすら難しかった時代に、天皇に直訴するなんて、とてつもない勇気が必要だったと思います。彼女の生い立ちや行動の背景を知り、多くの人に伝えたいと思いました」
◇こどもたちと作った紙芝居
市民学芸員の活動で、郷土の偉人を紙芝居で表現するという課題が出されたとき、峯岸さんは奥野とめ子さんの物語を紙芝居にすることにしました。絵を描くのは得意ではなかったため、知人が運営する放課後等デイサービスに相談。そこに通う障害のあるこどもたちに、紙芝居の絵を描いてもらうことにしました。
「先生が描いた下絵をもとに、こどもたちが折り紙を切って貼り付けながら一枚一枚丁寧に仕上げてくれました。力強さと温かみがある絵に仕上がりました」
◇戦争の記憶を風化させないために
紙芝居は、峯岸さんが運営に関わるこども食堂や地域の高齢者サロンなどで実演されています。前橋空襲があった8月5日(火)には、「前橋空襲と復興資料館」がある昌賢学園まえばしホールで披露されます。
「紙芝居を通して、声を上げる勇気があった人がいたことを知ってほしいです。戦争に限らず、理不尽なことに対しても、声を上げていいんだと伝えたい」
前橋空襲から80年。戦争の記憶が風化していく中で、峯岸さんの紙芝居は、奥野とめ子さんの勇気ある行動を今に伝えています。