くらし [特集]80年前の記憶を今に(3)

■前橋文学館で紙芝居の原画展
紙芝居『前橋くうしゅうわたしの八月五日』の原画や関連資料を展示する「前橋空襲資料展―語り継ぐあの日の記憶、前橋にも空襲があった。」を開催します。
日時:8月31日(日)まで、9時〜17時(入館は16時30分まで)

問合せ:同館
【電話】027-235-8011

■前橋に平和資料館設立をめざす会 企画展「地域から戦争を考える その12」
紙芝居の上演やパネル展示などをします。
日時:8月9日(土)〜11日(月)、10時〜16時30分
場所:芸術文化れんが蔵

問合せ:同会
【電話】027-233-1796

■手紙がつないだ記憶
ー戦地から妻に宛てた軍事郵便が語る家族の絆ー
戦地から前橋の妻宛てに送られた100通近くの軍事郵便。そこには、妻や幼い息子2人を想う父親の姿を見ることができます。

本資料は、旧あたご歴史資料館から本市に寄付され、本市や前橋空襲と復興資料館検討委員会委員長・手島仁さん、前橋学市民学芸員らによって調査・翻刻されたものです。
前橋空襲と復興資料館で展示されているほか、『前橋学ブックレット第40号』にも掲載されています。

代田秋造さんは昭和16年に33歳で出征し、旧満州などを転属した後、昭和19年4月にニューギニアで戦死しました。出征当時、妻の房子さんは28歳、長男の知之さんは3歳、二男の昌弘さんは1歳でした。秋造さんから妻宛てに送られた手紙には、家族を気遣う言葉が綴られています。
二男の昌弘さんがその手紙の存在を知ったのは母の死後。60歳を過ぎた後のことでした。「異国の戦地で大変な状況の中、家族を心配させないように『自分は大丈夫』と綴られた手紙に、家族への想いを感じました。戦況が悪化するにつれ、父・秋造の苦渋もにじみ出てきます。ニューギニアに渡った後には、『日本に帰りたい』という心情も吐露されていました」
空襲により住まいを失い、母と子で必死に生き抜いた記憶とともに、昌弘さんは「戦争で得られるものはない。もう二度と繰り返してはいけない」と話します。
(出典/『前橋学ブックレット第40号前橋空襲・復興と戦争体験記録シリーズ2出兵兵士・代田秋造から妻・房子への手紙―軍事郵便を読む―』令和6年発行)第40号』)

■七世松本幸四郎の想いを受け継ぎ、再び舞台へ
ー松本幸四郎さん・市川染五郎さん親子が『橋弁慶』を熱演ー
7月27日、昌賢学園まえばしホールで、前橋空襲と復興資料館の開館を記念した「前橋歌舞伎舞踊公演」を開催しました。本公演では、前橋空襲から約2カ月後の昭和20年10月に本市で開催された「戦災前橋復興舞踊大会」で披露された『長唄橋弁慶』が、松本幸四郎さんと市川染五郎さん親子によって再演され、観客を魅了しました。
この演目は、幸四郎さんの曽祖父・七世松本幸四郎が前橋で演じたもの。今回の舞台はその歴史を受け継ぐ公演です。

昭和20年10月に開催された「戦災前橋復興舞踊大会」の映像は、関係資料とともに前橋空襲と復興資料館内で展示されています。

◎松本幸四郎さん
曽祖父・七世幸四郎が演じた『橋弁慶』を倅(せがれ)・染五郎と勤めることができましたことは、曽祖父のご当地・前橋への感謝の思いと、前橋の皆様の温かいお心が、私たちをこの舞台に立てさせていただいたと強く感じています。芸を受け継ぎ、心を受け継いで舞台に立ち続けます。前橋の皆様に幸せが訪れますよう祈念しております。

◎市川染五郎さん
この度は、「前橋歌舞伎舞踊公演」にて『橋弁慶』の牛若丸を勤めさせていただきました。空襲からわずか2ヵ月後の昭和20年10月、高祖父・七世松本幸四郎が、歌舞伎の力、エンターテイメントの力をもって前橋の人々へ勇気と希望を届けた催しを、父とともに現代に甦らせ、時空を超えた魂をお届けしようと、願いや祈りを込めて演じました。また、様々な文化や歴史が息づく前橋で、私達高麗屋の精神を刻ませていただけたことは大変嬉しく、前橋の皆さまに改めて感謝申し上げます。今回の公演が皆さまにとって、現(うつつ)をわすれ夢をみていただくひとときでありましたら幸いです。